190年
西暦190年、第13代天皇の成務(せいむ)天皇が107歳で崩御しました。次代は日本武尊(やまとたけるのみこと)の第2子、仲哀(ちゅうあい)天皇が継ぎます。
成務天皇は景行天皇の子として生まれ、西暦121年、24歳で立太子となります。西暦130年に父が崩御したので、翌131年正月に即位しました。
西暦133年、同日生まれの武内宿禰(たけのうちすくね)を大臣とし、協力して治世に当たります。西暦135年には地方行政機構の整備を図るため、諸国に行政区画として国郡(くにこおり)、県邑(あがたむら)を定めました。そして、国郡には造長(くにのみやつこ)、県邑には稲置(いなぎ)を任命したのであります。また、山河を境にして国県を分け、阡陌(せんぱく)という南北東西の道に沿って邑里(むら)を定めました。
日本書紀には、成務天皇の世は安定し、天下太平であったと記録されています。しかし、魏志倭人伝には、ちょうど成務天皇の時代に倭国大乱があったと書かれています。当時の日本には多くの国があったので、魏志倭人伝のいう倭の国は九州地方だけだったのかも知れません。そうすると卑弥呼がこの頃治めた邪馬台国は九州説ということになります。現在では畿内説が当たり前になっているので、日本書紀の信憑性が疑われることになります。近畿地方のどこかに卑弥呼がいて、成務天皇が治めた地方があったと考えるのは無理があるのでしょうか。
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