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2009年1月31日 (土)

粒々辛苦

 粒々辛苦(りゅうりゅうしんく)とは、こつこつと努力して物事を成し遂げるということである。粒々とは米の一粒一粒という意味だ。

 出典は憫農詩(のうをあわれむのし)である。憫農詩は李紳(りしん)の作品だ。李紳は中唐の詩人である。

 春種一粒粟、秋成萬顆子。四海無閒田、農夫猶餓死。鋤禾日當午、汗滴禾下土。誰知盤中餐、粒粒皆辛苦。春に種(ま)く一粒の粟、秋に成る萬顆の子(み)。四海閒田無けれど、農夫猶(な)ほ餓死するがごとし。禾(か)を鋤(す)きて日午に當たり、汗は禾(か)下の土に 滴(したたる)る。誰(たれ)か知らん盤中の餐、粒々皆な辛苦。

 鋤をとって、稲を耕しているうちに、正午になった。汗が稲の根元の土に滴る。お椀の中のご飯の一粒一粒が、皆、農民の汗と辛苦の結晶だということを、誰が知っているだろうか。お米はたとえ一粒でも無駄にすまい。

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2009年1月30日 (金)

読書三到

 読書三到(どくしょさんとう)とは、読書に大切な三つの心得を説いたものだ。すなわち、心と目と口ででしなければならないということである。

 出典は訓学斎規(くんがくさいき)だ。訓学斎規は宋の儒学者、朱子が書いたものである。朱子は朱熹(しゅき)の尊称で、朱子学の創始者である。

 朱子は言った。「讀書有三到、謂心到、眼到、口到」と。「読書に三到有り。心到、眼到、口到を謂う。」続いて、「三到の中、心到最も急なり」と言っている。

 読書は、まずしっかり見て、朗読し、心に刻むのだが、「心到」が最も大事なのである。上の空で読んでも意味がないのだ。

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2009年1月29日 (木)

殷鑑不遠

 殷鑑不遠(いんかんとおからず)とは、戒めとすべき手本は昔の文献によらなくとも、手近なところにあるという意味である。つまり、他人の失敗を自分への戒めとするということだ。

 出典は詩経(しきょう)である。詩経は中国最古の詩集で、孔子が選んだとされている。古くは単に詩と呼ばれ、周代に作られたので周詩とも呼ばれる。

 詩経には「殷鑑不遠、在夏后之世」とある。これは、殷の紂王(ちゅうおう)が戒めとすべき鑑(かがみ)は遠い昔にあるのではなく、夏(か)の桀王(けつおう)の世にあるという意味である。

 夏の最後の桀王は、悪政のため殷に討たれ滅びた。殷もやがて悪政に陥り周に討たれた。周王朝は夏と殷を鏡とせよと詠っているのだ。人間は失敗例を目の当たりにして、同じ過ちを繰り返してしまう。我々は脈々と続いてきた人の業に学ぶことができるだろうか。

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2009年1月28日 (水)

黄中内潤

 黄中内潤(こうちゅうないじゅん)とは、才能や徳が内に充実していることである。また、それを外には表さないことだ。

 出典は魏書(ぎしょ)だ。魏書は南北朝時代に魏収(ぎしゅう)が編纂した、北魏の正史である。

 黄中の「黄」は五行で中央の色に配当され、「中」は中庸の徳をいう。「黄中」は易経坤(こん)にある語だ。内潤は内にあるつやの意で、内が徳で潤っていることである。

 西洋では通用しないが、日本では尊ばれることだ。歳を取り外見は老いて行くも、内側はますます潤う生き方をしたいものである。

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2009年1月27日 (火)

一知半解

 一知半解(いっちはんかい)とは、生半可な知識のことである。一知はちょっとだけ知っていることで、半解は半分だけ解っていること。

 出典は滄浪詩話(そうろうしわ)である。滄浪詩話は宋の厳羽(げんう)による詩論だ。詩を論ずる詩話の中でもっとも有名である。

 然悟有淺深、有分限、有透徹之悟,有但得一知半解之悟。悟りに浅深有り、分限有り、透徹(とうてつ)の悟り有り、一知半解の悟り有り。

 恥ずかしながら、このbibble-babbleも正しく一知半解なのだが、知らないよりましだと続けている。しかしやがては、透徹した知識としてゆきたい。

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2009年1月26日 (月)

四海兄弟

 四海兄弟(しかいけいてい) とは、世界中の人はみな兄弟という意味だ。四海は四方の海で、天下や世界中を意味する。

 出典は論語だ。論語は孔子と高弟の言葉を記録したものであるが、孟子、大学、中庸と併せて儒教の四書と呼ばれている。論語は二十編で構成され、四海兄弟は第十二編の顔淵(がんえん)の次の会話から生まれた。

 司馬牛憂曰、「人皆有兄弟、我独亡」。子夏曰、「商聞之矣、死生有命、富貴有天。君子敬而無失、與人恭而有礼、四海之内、皆兄弟也」。司馬牛憂えて曰く、「人は皆兄弟あり、我れ独り亡し」と。子夏(しか)曰く、「商(しょう)之(こ)れを聞けり、死生命(めい)あり、富貴天にあり。君子は敬して失うことなく、人と恭(うやうや)しくして礼あらば、四海の内、皆兄弟なり」と。

 子夏は孔子の優秀な十人の弟子、孔門十哲の一人で、子夏は字(あざな)、商が名である。商聞之矣の商は子夏のことである。優秀な人が人類みな兄弟と思えば戦争もなくなるのではないだろうか。

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2009年1月25日 (日)

孔丘盗跖

 孔丘盗跖(こうきゅうとうせき)とは、孔丘でも盗跖でも死ねばみんな塵となる様に、生きている内が花、もっと楽しもうということだ。孔丘は孔子のことで、盗跖は大盗賊の名前だ。

 出典は杜甫の詩である。唐の杜甫は、詩人として最高位の詩聖と後世で呼ばれ、李白と共に李杜と並称される。酔時歌(すいじのうた)に「孔丘盗跖倶塵埃」とある。

 盗跖は春秋戦国時代の大盗賊で、同時代の孔子とは両極端の存在と位置付けられている。孔子には柳下季(りゅうかき)という友人がおり、柳下季の弟が盗跖だった。盗跖には九千人もの部下がおり、孔子と盗跖は直接対決したことがある。

 杜甫は酔時歌を、酒を飲んでうたう気晴らしの歌として親友に贈った。杜甫43歳で、妻子がありながら職がなく焦っていた状況で作った詩である。やけっぱちで飲んでも、生きている間は楽しもうという酔い方をしたいものだ。

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2009年1月24日 (土)

高山流水

 高山流水(こうざんりゅうすい)とは、妙なる音楽のことだ。転じて、お互いを良く理解している親友や深い親交を意味する。

 出典は列子だ。列子は春秋戦国時代の人物で、八巻から成るその著書も列子と呼ばれる。

 琴の名手、伯牙(はくが)が高い山を思って弾くと、友人の鍾子期(しょうしき)は泰山のようと評し、流水を思って弾くと大河のようと評した。鍾子期が死ぬと伯牙は琴を辞めた。

 親友を知音というのは、この話に由来する。また、伯牙は琴の弦を断ったことから、絶絃とも言われる様になった。自分を理解してくれる友は、それほど大切ということだ。

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2009年1月23日 (金)

同軌同文

 同軌同文(どうきどうぶん)とは、王が天下を統一することである。または、天下が統一されていることである。「同軌」は車の車輪の間隔を同じにすることで、「同文」は文字を統一することだ。

 出典は中庸(ちゅうよう)である。中庸は中国戦国時代の儒学者、子思(しし)の作とされている。子思は孔子の孫にあたる。

 ここでの車は戦車のことで、古代中国では各国の戦車の車輪幅が違っていた。轍(わだち)は道路に刻み込まれ、違う大きさの轍の戦車はうまく通れない。すなわち、轍の幅が同じになるときは天下が統一されたときである。文字もまた然り。

 バラク・オバマの最初の仕事はイラク撤退指示と報じられている。人種や党派を超えた同軌同文が、かの地で始まるのだろうか。

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2009年1月22日 (木)

山高水長

 山高水長(さんこうすいちょう)は、「山のごとく高く水のごとく長し」と読む。高潔な人の功績や名誉が崇高で、川の様に流れ続けることにたとえた語。

 出典は厳先生祠堂記(げんせんせいしどうのき)だ。北宋の政治家、范仲淹(はんちゅうえん)は、後漢の隠者、厳光(げんこう)を厳先生祠堂記の中で「雲山蒼蒼、江水泱泱。先生之風、山高水長」と讃えた。

 厳光は若くして才能に恵まれ、後の光武帝となる劉秀(りゅうしゅう)と同門に遊学した。劉秀が皇帝になると厳光は名を変え隠者となった。優秀な厳光を相談役に迎え入れるため、劉秀は国中を探させた。羊の毛皮を着て釣りをしている厳光を見つけ連れて来たが、また去って行き生涯を農耕で終えた。

 厳光が釣りをしていた場所は「厳陵(げんりょう)の瀬」と呼ばれた。厳光と呼び名の子陵(しりょう)を合わせたのだ。隠者となっても後世で山高水長と慕われる人物が、今の世にどれほどいるのだろうか。

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2009年1月21日 (水)

守株待兎

 守株待兎(しゅしゅたいと)とは、「株を守りて兎(うさぎ)を待つ」と読む。偶然の幸運を当てにする愚かさや、古いしきたりにとらわれて融通がきかないことの例えである。

 出典は「韓非子」である。韓非子は中国戦国時代の政治家、韓非の著書だ。韓非は荀子に学び性悪説の立場を取るが、人を矯正するのは努力や礼ではなく法であると考えた。

 宋に田を耕す男がいた。たまたま走ってきた兎がその田にあった切り株に頭をぶつけて死んだ。美味しい思いをしてから、男は鋤を捨てひたすら株の番をした。同じことは二度と起こらず国中の笑い者になった。

 ご存じ、北原白秋作詞、山田耕筰作曲の「待ちぼうけ」である。かの国はチェンジで沸いている。この国は守株待兎ではないか。

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2009年1月20日 (火)

大死一番

 大死一番(だいしいちばん)の「大死」とは完全に死ぬこと、「一番」はひとまずということで、ひとまず完全に死んでみるというになる。つまり、一度死んだ気になって頑張るというこだ。

 出典は碧巌録(へきがんろく)だ。碧巌録は北宋時代の禅僧、圜悟克勤(えんごこくごん)が編纂した中国の仏教書である。

 仏の道を精進するためには、己を捨て、欲を去り、迷いを断たないといけない。大死一番とは大いなる覚悟である。

 今日は第四十四代アメリカ合衆国大統領の就任日だ。バラク・オバマの覚悟は、大死一番と期待したい。

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2009年1月19日 (月)

武陵桃源

 武陵桃源(ぶりょうとうげん)とは、桃源郷のことだ。英語のユートピアはギリシャ語の「どこにもない国」を元にした造語。

 出典は桃花源記(とうかげんき)である。桃花源記は六朝(りくちょう)時代の詩人、陶淵明(とうえんめい)の作品だ。

 武陵の漁夫が谷川を遡っていくと、突然両岸に桃の花が咲き乱れる桃林に着いた。その奥に秦の戦乱を避けた人々の平和郷があった。もてなしを受けた後、この場所の秘密を約束して帰宅した。漁夫は役人に告げ、再び捜してみたが二度と見つからなかった。

 桃源郷には戦争がない。世界中で日本だけが桃源郷なり得る国かも知れない。桃源郷をサンスクリッド語読みしたものがシャングリ・ラである。

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2009年1月18日 (日)

駑馬十駕

 駑馬十駕(どばじゅうが)とは、鈍い馬が十日馬車を引くということである。つまりは、才能がなくても努力すれば才能のある者に並ぶことができるということだ。

 出典は荀子だ。荀子は中国戦国時代末期の儒学者で、孟子の性善説に対して性悪説を唱えた。

 荀子の勧学に「驥一日而千里、駑馬十駕、則亦及之矣」とある。驥(き)は一日(いちじつ)にして千里なるも、駑馬も十駕すれば則ちまたこれに及ぶ。驥は名馬だ。

 荀子が言った性悪説の「悪」は「乱」であり、人間は無限の欲望を満たそうとして社会が乱れるとした。それ故、努力や礼が大事だと考えたのだ。駑馬も名馬も十日走り、この不況を乗り切ろう。

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2009年1月17日 (土)

八紘一宇

 八紘一宇(はっこういちう)とは、世界を一つの家とするという意味である。八紘は国の八方の果て、宇は家のことだ。大東亜戦争の日本のスローガンだった。

 出典は日本書紀である。巻第三、神武天皇の条に「掩八紘而爲宇」とある。「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と爲(なさ)む」から「八紘一宇」が生まれた。

 第二次大戦後のGHQ占領期の神道指令では、公文書での使用が禁止された。大東亜戦争を連想され、良くないイメージを持つ方も多いと思われる。

 しかし、当時「八紘一宇」の精神を元に、ユダヤ人を助けたのも事実である。アジアにとっては最悪の言葉だったかも知れないが、欧米のアジア支配に対抗する意味もあったのではないだろうか。

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2009年1月16日 (金)

槿花一朝

 槿花一朝(きんかいっちょう)とは、槿花一日(きんかいちじつ)とも言う。朝に咲き夕べにしぼむ槿(むくげ)の花の様なはかなさの例え。

 出典は白楽天の詩だ。中唐の詩人、白楽天は5歳から詩を書き始め、74歳で白氏文集(はくしもんじゅう)を完成させ75歳でその生涯を終えた。

 白氏文集の一節「松樹千年終是朽、槿花一日自為榮」の律詩は、和漢朗詠集にも収められている。「松樹千年なるも終に是れ朽ち、槿花一日なるも自ら榮を為す」。

 栄華を誇っていても長くは続かないことを槿花一朝の夢と言ったりする。原文では一日しか咲かない槿花でも、その一日を精一杯生きていると称えている様に読めるのだが。

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2009年1月15日 (木)

黄梁一炊

 黄梁一炊(こうりょういっすい)の黄梁とは、オオアワの漢字名でここでは粟飯を意味する。粟飯を炊くほどの短い時間に、一生の夢を見て人生のはかなさを知る。

 出典は枕中記(ちんちゅうき)である。枕中記は唐の沈既済(しんきせい)の小説だ。

 唐の時代、邯鄲(かんたん)の茶店で道士、呂(りょ)翁が休んでいるところへ盧生(ろせい)という貧乏な若者が来た。出世を望む盧生は、栄華が思うがままになるという枕を呂翁から借りて仮眠し、栄枯盛衰の50年を夢見て目覚めた。茶店に到着したときに炊き始めた粟飯はまだ炊きあがっていなかった。人生のはかなさを知った盧生は、呂翁にお礼を言い田舎へ帰った。

 一瞬の間に見た夢は、人生の節目の結果だけを繋げたものだったのではないだろうか。人生ははかなくとも、その一瞬の喜びや悲しみは真実である。繋ぎ合わせて生きて行こう。

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2009年1月14日 (水)

一粒万倍

 一粒万倍(いちりゅうまんばい)とは、一粒の籾をまけば、万倍の米になるということである。すなわち、小さなことでも良いことをすれば、万倍になって帰って来るということだ。

 出典は報恩経(ほうおんきょう)だ。報恩教は、大方便仏報恩経(だいほうべんぶつほうおんぎょう)のことである。

 お経の言葉は、「世間求利、莫先耕田者、種一万倍」である。暦にも一粒万倍日があり、何を始めるにも吉日とされている。

 少しのものでも粗末にしてはいけないという意味もある。万倍になることを期待して良いことをするということではなく、ちょっとしたことでも善行は意味があるということだ。

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2009年1月13日 (火)

一暴十寒

 一暴十寒(いちばくじっかん)とは、一日暖めて十日冷やすということで、何事も続けてやらないと成果が上がらないということである。「暴」は「曝」のことで、日に曝(さら)すということだ。

 出典は孟子である。孟子は戦国時代中国の儒学者であり、儒教では孔子に並ぶ重要人物である。

 「雖有天下易生之物也、一日暴之、十日寒之、未有能生者也」と原文にある。天下に生えやすい植物があるといえども、一日これを曝し、十日これを冷やせば、芽が出るものも生えることだできない。

 一暴十寒を説いた章では、孟子が王に会っているときを「暴」とし、それ以外を「寒」として王が正しい政治をするか不安がっている。孟子が性善説を説いたのは、「寒」を埋めるためなのかも知れない。

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2009年1月12日 (月)

一葉知秋

 一葉知秋(いちようちしゅう)とは、木の葉が一枚落ち秋が近いことを知ることだ。すなわち、わずかな変化を見て体勢の将来を予測することである。

 出典は淮南子(えなんじ)だ。淮南子は前漢の時代に淮南(わいなん)王の劉安(りゅうあん)らが編纂した哲学書である。

 淮南子の巻十六、説山訓には「見一葉落、而知歳之將暮、睹瓶中之冰、而知天下之寒。以近論遠。」とある。一葉の落つるを見て、歳の将に暮れなんとするを知り、瓶中の氷を睹(み)て、天下の寒きを知る。近きを以て遠きを論ずるなり。

 100年に一度の不況も十分に予見できたのではと思うが、葉が落ち始めたことを軽く見過ぎていたのだろうか。アメリカの没落は誰にも見えているはず。

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2009年1月11日 (日)

盲亀浮木

 盲亀浮木(もうきふぼく)とは、目が不自由な亀が流木の穴から頭を出すほどの希少性を言っている。すなわち、人間として生まれることの難しさ、更にそんな人間同士の出会いの奇遇さをたとえている。

 出典は雑阿含経である。雑阿含経はお釈迦様のお言葉を弟子達がまとめたもので、盲亀浮木は人間に生まれることの難しさの例え話である。

 お釈迦様が弟子の阿難に尋ねられた。「大海の底に1匹の盲亀がいる。その海に1本の浮木が流れておりその木の真ん中に1つの穴がある。その亀が100年に1度波の上に浮かび上がったときにちょうどこの浮木の穴から頭を出すことが1度でもあるだろうか」と。

 人間として生まれることはこれよりも難しい。そんな人間同士の出会いはなおさら難しい。そんな状態で生まれ出会ったのだから有り難いのだ。

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2009年1月10日 (土)

腹鼓撃壌

 腹鼓撃壌(こふくげきじょう)は、「腹を鼓(つづみ)うち襄(つち)を撃(う)つ」と読む。満腹で腹鼓をうちながら地面を踏みならすことであり、民衆が気楽に暮らす太平の世を表している。

 出典は十八史略(じゅうはちしりゃく)だ。十八史略は元の曾先之(そうせんし)によってまとめられた史書である。

 伝説の堯(ぎょう)帝の時代、堯は自分の政治がうまく行っているか確かめるために街中にお忍びで出かけたとき、街外れで老人が腹鼓撃壌しながら歌っていた。「日が出れば耕し、日暮れて休む、井戸掘って水飲み、耕して食(くら)う、帝王なんか関係ない。」

 堯はこれを聞いて満足し帰ったそうだ。王様のことを気にせず気楽にいれるのは政治がうまく行っている証拠だ。腹鼓撃壌の太平の世は復活するだろうか。

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2009年1月 9日 (金)

不立文字

 不立文字(ふりゅうもんじ)とは、文字を立てないということである。すなわち、悟りは文字では伝えられず、心から心へ伝えるものだということである。

 出典は達磨大使である。達磨大師はインドから中国に渡られ、嵩山(すうざん)少林寺で面壁九年の坐禅を修行され、「不立文字、教外別伝(きょうげべつでん)、直指人心(じきしにんしん)、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」と標された。

 悟りとは言葉で書けるものではない、心から心へ伝えるものだ、仏を外に求めるのではなく自分自身の中に求めなければならない、ただ自己のありさまを徹底して見ることのほかにない。

 何とも奥深い達磨大師の教えだ。悟りの境地は文字にできないかも知れない。だからといって文字を否定しているのではなく、文字で伝えられるものから先のことを言っているということも理解しなければならない。

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2009年1月 8日 (木)

先憂後楽

 先憂後楽(せんゆうこうらく)とは、先に憂い後に楽しむということで、政治家の心構えを説いたものである。つまり、政治家は民衆より先に憂い、民衆が楽しんだ後に楽しめということだ。

 出典は岳陽楼記(がくようろうのき)だ。これは、宋の范仲奄(はんちゅうえん)の長編詩である。この中に「先天下之憂而憂、後天下之楽而楽」という一説がある。

 天下の憂(うれい)に先だって憂い、天下の楽(たのしみ)に後れて楽しむ。これが書かれたのは1046年だが、現代の日本の政治家は何をしているのだ。

 なお、先憂後楽と同じ出典で名付けられたものが後楽園である。水戸光圀の師である明の学者朱舜水(しゅしゅんすい)が名付けた。

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2009年1月 7日 (水)

唇歯輔車

 唇歯輔車(しんしほしゃ)とは、唇と歯、ほお骨とあご骨の間柄の様に、利害関係が密接で互いに助け合わないといけないことをいう。輔車は、ほお骨とあご骨を意味する。

 出典は春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)である。これは、歴史書「春秋」の解説書で、通称「左伝」と呼ばれている。この他に、「春秋公羊伝」、「春秋穀梁伝」があり、合わせて三伝という。

 晋(しん)の軍が虞(ぐ)を通って「かく」という国を攻めようとしたとき、虞の王は通すことを承知した。しかし、家臣の宮之奇(きゅうしき)が虞と「かく」は唇歯輔車の関係で、「かく」が亡べば虞も必ず亡びると言った。

 唇歯輔車とは、まさに現代の日米関係である。まだまだ日本の景気の状況がはっきりしないのは、アメリカ経済の行く末が見えないからである。アメリカを脱却した経済構造ができるまで、日本の未来はない。

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2009年1月 6日 (火)

乾坤一擲

 乾坤一擲(けんこんいってき)とは、天が出るか地が出るか、サイコロを投げて賭けることである。これから、運命を賭けて大勝負や大仕事をすることを意味する様になった。

 出典は韓愈(かんゆ)の「鴻溝(こうこう)を過ぐ」という詩である。三国志でお馴染みの劉邦(りゅうほう)が、項羽(こうう)に天下分け目の決戦を挑んだときの様子を「眞成一擲賭乾坤」と詠んだ。

 眞に一擲乾坤を賭するを成す、と読む。「乾」は易経で天を、「坤」は地を意味する「擲」は投げうつことだ。天地を投げうつ勝負ということだ。出典通りに、一擲乾坤ともいう。

 激動の時代には安定志向だけでは難しくなり、大勝負をかける必要があるときが来るかも知れない。そんなときは、人事を尽くして天命を待つ、乾坤一擲を賭した勝負と言おう。

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2009年1月 5日 (月)

不撓不屈

 不撓不屈(ふとうふくつ)とは、どんな困難にもくじけないことである。不撓とは撓(たわ)まないことで、撓まず、屈せずと読む。

 出典は漢書だ。漢書は、後漢の時代に班固(はんこ)、班昭らによって編纂された前漢の歴史書である。班昭は中国初の女性歴史家で、班固の妹である。

 漢書には「楽昌篤実、不撓不屈」と書かれている。楽章(がくしょう)候を継いだ王商(おうしょう)の人柄を、まじめでくじけないと賞賛したものだ。

 激動の2009年が始まった。どんなことがあっても、不撓不屈の精神で目標をやり遂げよう。

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2009年1月 4日 (日)

山中暦日

 山中暦日(さんちゅうれきじつ)とは、山中暦日無しの略で、山中に暮らせば暦などどうでも良いということである。すなわち、隠者が俗世間を離れた悠々自適の生活を表す。

 出典は唐詩選である。唐詩選は、明の李攀竜(りはんりょう)が編纂した唐代の詩選集である。隠者が姓を問われてその答えとした詩の一節「偶来松樹下、高枕石頭眠、山中無暦日、寒尽不知年」である。

 偶然に松樹の下に来た。枕を高くして石頭に眠る。山中に暦日は無い。寒尽くるも年を知らず。

 長期休暇中はまさにこの境地なのだが、正月休みは今日で終わる。新年の第一歩を踏み出す新しい一週間が始まる。遮二無二社会生活を過ごせば、また暦日無しかも知れない。

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2009年1月 3日 (土)

櫛風沐雨

 櫛風沐雨(しっぷうもくう) とは、風雨にさらされながらも走り回って苦労するという意味だ。櫛風は風を櫛とすることで、沐雨は雨で洗うことである。

 出典は荘子(そうじ)だ。人名は「そうし」と読むのだが、書物は「そうじ」と読む。荘子は老子の学統を継ぐものであり、難解な老子をわかり易く工夫して伝えている。

 荘子は天下篇で、苦労の量で成功するかどうかの例えを、雨に沐(かみあら)い風に櫛(くしけず)ると伝えた。世の中の様々な苦労を体験しろということである。

 櫛風浴雨(しっぷうよくう)、風櫛雨沐(ふうしつうもく)、沐雨櫛風(もくうしっぷう)とも言う。つい楽な方に流される身には、耳が痛い。

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2009年1月 2日 (金)

悪木盗泉

 悪木盗泉(あくぼくとうせん) とは、たとえ困窮しても決して悪事には近付くなという教えである。悪木は人を傷付ける悪い木を意味し、盗泉は孔子が名前が悪いからと水を飲まなかった泉の名前である。

 出典は文選(もんぜん)である。文選は南北朝時代に昭明太子によって編纂された、周代から梁までの優れた作品を集めた書物である。

 孔子は喉が渇いていたが、「渇かっすれども盗泉の水を飲まず、熱あつけれども悪木の陰に息いこわず」と自戒したそうだ。李下にて冠を正さずと同様の行為だ。

 古くから悪事を働くのはもちろんのこと、人から疑われる様なことしてはいけないと戒められている。しばらくは厳しい時代が続くだろうが、社会生活では悪木盗泉の心構えを忘れてはならない。

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2009年1月 1日 (木)

確乎不抜

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。新年に際し選んだ四字熟語は「確乎不抜」です。

 確乎不抜(かっこふばつ)とは、心がしっかりしてぐらつかず、くじけないことをいう。確乎は確固とも書きしっかりしていることを、不抜は抜けないということだ。

 出典は易経である。易経は儒教の筆頭に挙げられる経典であり、由来は古く殷代までさかのぼる。

 毎年、元旦に新しい決意を思うのだが、1年経ちその思いのほどは如何ほどだったかと反省している。よく考えて一年の計を立て、確乎不抜の精神で貫き通したい。 

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