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2009年2月28日 (土)

円木警枕

 円木警枕(えんぼくけいちん)とは、すぐ転んで目が覚める様に作った丸木の枕だ。すなわち、苦労して勉学に励むことの例えを意味する。

 出典は資治通鑑(しじつがん)である。資治通鑑は中国北宋の儒学者、司馬光(しばこう)が編纂した全二百九十四巻にも及ぶ歴史書だ。

 司馬光は学問に励むため、眠ると転がって目が覚める様にと丸太を枕にして睡眠を取った。また司馬光は幼少の頃、高価な瓶に入って溺れた友達を救うため、躊躇なく瓶を割って救ったことでも有名だ。

 現代では目覚まし時計があるので円木を枕にする必要はない。どんな時代でも、工夫すれば惰眠は防げるのだ。

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2009年2月27日 (金)

麻姑掻痒

 麻姑掻痒(まこそうよう)とは、かゆいところに手が届くこと。転じて、物事が思い通りになることを意味する。

 出典は神仙伝(しんせんでん)だ。神仙伝は、中国晋代の道教研究家、葛洪(かつこう)の著書である。

 麻姑は伝説上の仙女の名前で、鳥のような長い爪を持っている。漢の時代、蔡経(さいけい)が麻姑を見て、あの爪で背中をかかせたらさぞかし気持ち良いだろうと思ったという説話がある。

 孫の手は麻姑に由来しているのだが、麻姑の容姿は若く美しい娘で長寿の象徴でもある。孫の手で背中の痒い所を掻くときは、しばし全てを忘れよう。

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2009年2月26日 (木)

戮力協心

 戮力協心(りくりょくきょうしん)とは、全員の力を合わせて一致協力することだ。戮力は力を合わせること、協心は調和をはかることを意味する。協心戮力とも言う。

 出典は墨子(ぼくし)である。墨子は、中国戦国時代の思想家、墨子の思想を弟子が編纂したものだ。

 墨子は一切の差別のない博愛主義を唱えた。これを兼愛と言う。儒学の仁も差別愛とした。また、非戦論の非攻という思想も有名。

 兼愛、非攻の墨子の思想は没後顧みらなかったが、清末期に西洋文明と出会うことにより、キリスト教に酷似していると再評価され始めた。日本は非攻を実践しているが、兼愛はどうだろう。せめて戮力協心して、この時代を乗り越えようではないか。

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2009年2月25日 (水)

聖読庸行

 聖読庸行(せいどくようこう)とは、立派な書物を読んでいながら、いざ行動となると平凡なことである。聖読は聖人の書を読むこと、庸は平凡なことを意味する。

 出典は揚子法言(ようしほうげん)だ。陽子法言は中国漢の学者、揚雄(ようゆう)が著した全十三巻からなる随想録である。

 揚雄は博学多識で古典の模倣作家として知られている。陽子法言は論語をまねたものだ。他にも易経をならって太玄経(たいげんきょう)を書いた。

 二千年以上を経過した先人の叡智を調べている当ブログにとって、聖読庸行は耳の痛い熟語だ。せめて、知らなかったより少しはよく行動したい。

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2009年2月24日 (火)

思索生知

 思索生知(しさくせいち)とは、思索(しさく)、知(ち)を生(しょう)ず、と読む。物事をよく考えることで知恵が生まれるということだ。

 出展は管子(かんし)である。管子は、中国春秋時代における斉の政治家、管仲(かんちゅう)の著作とされている。

 管仲は孔子より90年も前に亡くなっている先輩格だ。法学の祖と言われ、管子は統制のためのマニュアルの様なものだ。

 管仲の思想は唯物論が特徴である。その管子でさへ、思索生知と説いている。何事もよく考えてみよう。

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2009年2月23日 (月)

知行合一

 知行合一(ちこうごういつ)とは、知識と行為は一体であるということだ。すなわち、知識というものは行動を伴わなければ意味はないということである。

 出典は伝習録(でんしゅうろく)だ。伝習録は、中国明時代に王陽明が起こした陽明学についての言動を弟子がまとめたものである。

 知行合一は、朱熹(しゅき)が唱えた先知後行に対するものだ。先知後行とは、先に理論を勉強し後に実践するという方法だが、知識だけに終わることが多かったのだろうか。

 たいていのことは先知後行になってしまうのだが、頭の中の知識だけでは意味がない。知識は使うためのものであり、行動して初めて知恵となるのだ。

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2009年2月22日 (日)

一酔千日

 一酔千日(いっすいせんにち)とは、ひと酔いしただけで心地良くなり千日も眠るという意味である。すなわち、それほど美味しい酒の例えだ。

 出典は博物志である。博物志の著者は、中国西晋の重臣、張華(ちょうか)だ。

 劉玄石(りゅうげんせき)が酒屋で千日酒を買った話。酒屋は、うっかり、千日酒がとても強い酒で飲む限度があると注意することを忘れた。千日たってから玄石を訪ねると、酔って眠っているのを死んだと勘違いされ葬られていた。そこで墓をあばいて棺を開けてみると、大きなあくびをして目を醒ましたところだった。

 かの国の外務大臣は、泥酔の記者会見で辞退にまで追い込まれた。一酔千日を飲んでいれば寝てしまって記者会見が開かれず、世界に痴態を晒すことはなかっただろう。

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2009年2月21日 (土)

伏竜鳳雛

 伏竜鳳雛(ふくりょうほうすう)とは、才能がありながら機会に恵まれずまだ世に出ていない優れた人物のことだ。鳳雛は、鳳凰の雛のことである。

 出典は蜀志(しょくし)だ。蜀志は三国志の魏、蜀、呉国の一つ、蜀国の歴史書で、十五巻からなる。

 蜀志では、伏竜は諸葛亮孔明を、鳳雛は龐統士元(ほうとうしげん)を指す。彼らは世に出ていない天才軍師で、どちらかを取れば天下を取れるとした。

 伏竜鳳雛は、将来のある若者を意味することもある。しかし、才能は誰にでもあるもの。誰もが伏竜鳳雛である。伏竜の様に普段は湖底でじっとしているが、機会さへあれば嵐を起こして大空を舞う。

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2009年2月20日 (金)

月下氷人

 月下氷人(げっかひょうじん)とは、縁結びの神のことだ。転じて、仲人や媒酌人も意味する様になった。

 出典は晋書(しんじょ)である。晋書は、中国唐の第二代皇帝、太宗(たいそう)が命じて作らせた晋王朝の歴史書だ。二十四史の一つである。太宗は、中国史上最高の名君の一人と称えられている。

 月下氷人は、月下老と氷人という二つの故事から出来た和製熟語である。月下老とは、 唐の韋固(いこ)が月夜の晩に宋城の南の村で会った老人の話だ。その老人は赤い縄で男女の縁を結ぶ人だった。韋固が未来の妻がどこか尋ねると、宋城の北門で野菜売りをしている陳婆が抱いている赤ん坊と言われた。十数年後、官吏となった韋固は太守の娘と結婚したが、妻の身の上を聞くと、太守は養父で、宋城の北門の野菜売りの陳婆が実の母だった。

 また、氷人とは、晋の令狐策(れいこさく)が氷の上で氷の下の人と話をする夢を見た話である。占い師は、氷の上下は陽と陰で男女を表し、詩経の句に「妻をめとるならば氷の溶けきらない冬のうちに」とあるので、結婚の仲人をする前兆だと予言した。彼はその通り仲人を務めた。月下老も氷人も仲人なのである。  

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2009年2月19日 (木)

大快人心

 大快人心(たいかいじんしん)とは、大(おお)いに人心(じんしん)を快(こころよ)くす、と読む。すなわち、世間の人を痛快な気分にさせることである。

 出典は明史(みんし)だ。明史は中国清の政治家、張廷玉(ちょうていぎょく)が編纂した、明の歴史書である。二十四史の最後を飾る。

 大快人心で人心を快くさせるのは、悪人や悪事が厳しく糾弾されたときの痛快さを言う。人心大快とも言う。

 世界に醜態を晒した政治家が糾弾されるのは大快人心だろうか。情けなく恥ずかしく腹立たしく思うのだが。

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2009年2月18日 (水)

抽薪止沸

 抽薪止沸(ちゅうしんしふつ)とは、「薪(たきぎ)を抽(ぬ)きて沸(たぎり)を止(と)どむ」と読む。物事を根本から解決することを意味する。

 出典は魏志(ぎし)である。魏志は、三国志の一部である「魏書」のことだ。魏志倭人伝は、このうちの東夷伝の一部である。

 「抽薪」は燃えている薪をかまどから引き抜くこと。「止沸」は湯の火を止めて冷ますこと。すなわち、薪を抜いて、沸騰した湯を冷やすことである。

 物事を根本から解決するには、いくら対処療法をしても駄目ということだ。問題を起こしている根本をなくすしかないと言っているのだ。 

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2009年2月17日 (火)

寸草春暉

 寸草春暉(すんそうしゅんき)とは、親の愛情はとても大きく、子供がわずかでも報いるのが難しいことの例えである。寸草はわずかに伸びた草で子供の思いを、春暉は春の暖かい光で親の愛を表す。

 出典は遊子吟(ゆうしぎん)だ。遊子吟は中国、唐の詩人、孟郊(もうこう)の詩である。

 旅に出る息子のために服を縫っているのだが、出世を願う気持ちと、これが最後でもう会えないかも知れないと思う母の心を詠んだ詩だ。母の心は三春の光と詠っている。

 三春とは、孟春(春の初め)、仲春(春の盛り)、季春(春の終わり)のことである。春一番が吹き、孟春が始まる。母親に感謝しよう。

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2009年2月16日 (月)

身体髪膚

 身体髪膚(しんたいはっぷ)とは、からだ全身のことを指す。身体と、髪の毛、皮膚でからだ全体となる。

 出典は孝経(こうきょう)である。孝経は、孔子の弟子、曾子(そう し)が孔子の言動を記したものである。

 開宗明義の章に、「身體髮膚、受之父母、不敢毀傷、孝之始也。」とある。身体髪膚、之(これ)を父母に受く、敢えて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり。

 身体は父母から授かった大切なものだ。身体を大事にすることが、親孝行の始まりと説いている。自分の身体は孝行のためにあるのだ。 

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2009年2月15日 (日)

潜移暗化

 潜移暗化(せんいあんか)とは、潜(ひそか)に移(うつ)り暗(あん)に化(か)す、と読む。環境や他人から影響を受けて、いつの間にか自分の考え方が変わっていることを意味する。

 出典は顔氏家訓(がんしかくん)だ。顔氏家訓は、中国南北朝時代の儒学者、顔之推(がんしすい)が著した家訓である。

 顔之推は、付き合いで自分が変わって行くので、君子は友人を慎重に選べということで、潜移暗化と記したのだ。朱に交われば赤くなることを子孫に伝えたかったのだろう。

 また、この篇では、聖人は千年に一人、賢人は五百年に一人出現すると書いている。賢人が五百年に一人しか現れないなら、百年に一度の不景気は自分たちで解決するしかないだろう。

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2009年2月14日 (土)

白河夜船

 白河夜船(しらかわよふね)とは、何が起きたかわからなかったほどぐっすり寝ていたことを意味する。または、知ったかぶりをすること。

 出典は毛吹草(けふきぐさ)である。毛吹草は江戸初期の俳人、松江重頼(しげより)が編纂した。貞門俳諧の入門書として有名である。

 京都見物をして来たと嘘を付いた男の話。白河のことを聞かれ、地名なのに河の名前と思い、船に乗っていたとき寝ていたので気付かなかったと言ってしまった。

 元々は知ったかぶりをした意味なので、肝心なときに寝てしまったとき白河夜船と称すると良いだろう。居眠りしても、白河夜船にはならない様にしたい。

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2009年2月13日 (金)

磨穿鉄硯

 磨穿鉄硯(ませんてっけん)とは、物事を達成するまで強い意志を変えずに持ち続けることである。鉄硯(てっけん)を磨穿(ません)す、と読む。

 出典は新五代史(しんごだいし)だ。新五代史は、中国北宋の政治家、欧陽修(おうようしゅう)が編纂した歴史書で、二十四史の一つ。

 新五代史、第十七列伝の桑維翰(そういかん)伝の逸話。五代の桑維翰(そういかん)が、鉄でできた硯(すずり)を磨り減らせ穴が開くほど勉強し、念願の科挙(中国の官吏登用試験)合格を成し遂げた。

 磨穿鉄硯は出典の通り、勉学にたゆまず励むという意味もある。受験勉強時代にこの言葉を知っていたら、もっと努力しただろうか。 

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2009年2月12日 (木)

呉下阿蒙

 呉下阿蒙(ごかのあもう)とは、いつまでたっても進歩しない無学な人の例えである。「呉下阿蒙」自体は、呉の蒙ちゃんという意味だ。

 出典は呂蒙伝(りょもうでん)である。呂蒙伝は三国志の呉志(ごし)に現れる。赤壁の戦いで功績を上げた武将、呂蒙の伝記だ。

 呂蒙は一連の戦いで大将を努め功績をあげるが、全く教養がなかった。しかしその後、主君から諭され勉学に励み、儒学者にも勝ほどの学問を身に付けた。

 参謀の魯粛(ろしゅく)の質問に、呂蒙はすらすら答え魯粛を驚かせた。そして魯粛は、呉下の阿蒙に非ず(もう呉の蒙ちゃんではない)と呂蒙を評した。それゆえ「呉下阿蒙」自体は無学な例えでも、使い方はこれを否定し努力して立派になった者に使うことが多い。

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2009年2月11日 (水)

無二無三

 無二無三(むにむさん)とは、ひたすらなことだ。ただ一つであって、第二、第三はないということである。

 出典は法華経だ。法華経は妙法蓮華教の略称として用いられることもある。天台宗、日蓮宗の経典であり、二十八品(ほん)の章節で構成されている。

 「無二亦無三」の略で、「二も無く亦た三も無し」と読む。「むにむざん」とも読む。仏となる道はただ一つであり、第二第三の道はないという意味だ。

 仏道に限らず、極めたい道があればそれを無二無三に進まないといけない。寄り道や脇道をしていては駄目なのだ。精進あるのみ。

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2009年2月10日 (火)

牛驥同皁

 牛驥同皁(ぎゅうきどうそう)とは、賢者と愚者を同じ待遇にしてしまうこと。足の遅い牛と日に千里を走る名馬を同じ桶で飼うという意味だ。

 出典は朱子語類である。朱子語類は朱子の発言集で、弟子が日頃の言動を書き留めたものだ。

 「牛驥同一皁、鶏栖鳳凰食。」牛驥一皁(いっそう)を同じくし、鶏栖(けいせい)に鳳凰食ふ。皁は食器、鶏栖は鶏小屋である。

 驥服塩車に似ているが、こちらは待遇を指す。古来から人や物の価値に応じた扱いが大事と説かれていたのだ。

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2009年2月 9日 (月)

酔生夢死

 酔生夢死(すいせいむし)とは、酔っている様に生き夢を見る様に死ぬということだ。つまり、有意義なことを何もせず、無自覚に一生を送ることである。

 出典は明道(めいどう)先生行状である。明道先生行状は、北宋の儒学者、程顥(ていこう)が著したもので、明道先生とは程顥本人だ。

 「雖髙才明智膠于見聞、酔生梦死不自覚也。」髙才明智と雖(いえど)も、見聞に膠(こう)せられ、酔生夢死して自ら覚さとらざるなり。

 才能があって聡明でも、見聞だけに終わってはいけないと言っているのだ。酒を飲むな夢を見るなと言っているのではない。たまには酒を飲んで夢見心地でいないと、経済も活性化しない。

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2009年2月 8日 (日)

驥服塩車

 驥服塩車(きふくえんしゃ)とは、優れた人物がつまらぬ仕事をさせらていることである。「驥」は老驥伏櫪に出てきた一日に千里を走る名馬で、その名馬に塩を引かせている。

 出典は戦国策だ。戦国策とは、中国の戦国時代の国策や逸話等を前漢の劉向(りゅうきょう)がまとめたものだ。

 楚(そ)策に「夫驥之歯至矣、服塩車而上太行。」とある。夫(それ)驥の歯(よわい)いたれり。塩車(えんしゃ)に服して太行(たいこう)に上(のぼ)る。

 これは、遊説家の汗明(かんめい)が楚の宰相春申君(しゅんしんくん)に自分を売り込むときに言った言葉だ。馬なら驥服塩車もあろうが、人なら自分でこの状況を打開できるはずである。

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2009年2月 7日 (土)

五風十雨

 五風十雨(ごふうじゅうう)とは、五日に一度風が吹き、十日に一度雨が降るという意味だ。すなわち、天候が順調なことで、豊年の兆しと捉え、世の中が太平なことを表す。

 出典は論衡(ろんこう)である。論衡は、後漢時代の思想家、王充(おうじゅう)が著した思想書だ。

 風不鳴條、雨不破塊、五日一風、十日一雨。風は条(えだ)を鳴らさず、雨は塊(つち)を破らず、5日に一風、10日に一雨。

 政治がうまく行っていると天候も順調と考えられていた様だ。それで、五風十雨ならすべて良し、天下太平の徴となった。 

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2009年2月 6日 (金)

汗牛充棟

 汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)とは、「牛を汗(あせ)し棟(むね)に充(み)つ」と読む。つまり、牛に引かせると汗をかくほど、積み上げると棟に届くほど沢山の書物があるということである。

 出典は陸文通先生墓表(りくぶんつうせんせいぼひょう)だ。陸文先生とは、唐の詩人、柳宗元(りゅうそうげん)のことである。

 柳宗元は唐宋八大家(とうそうはちたいか)の一人だ。唐宋八大家とは、唐代から宋代にかけての八人の文人のことで、唐の韓愈(かんゆ)、柳宗元、宋の欧陽脩(おうようしゅう)、蘇洵(そじゅん)、蘇軾(そしょく)、蘇轍(そてつ)、曾鞏(そうきょう)、王安石(おうあんせき)を指す。

 原文では、春秋の注釈書が汗牛充棟ほどあって、とても読み切れないとしている。今年は丑年である。牛にちなんで、今年は積み上げれば天井に届くほどの書物を読もうではないか。

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2009年2月 5日 (木)

容貌魁偉

 容貌魁偉(ようぼうかいい)とは、顔つき体つきが逞しく立派なことである。容は体つき、貌は顔つきを意味する。

 出典は後漢書である。後漢書(ごかんじょ)は中国の後漢朝について書かれた歴史書で、二十四史の一つだ。南北朝時代の政治家、范曄(はんよう)が編纂した。

 後漢書の郭太(かくたい)伝に、郭太を「身長八尺、容貌魁偉」と表している。2000年程前は1m80㎝の体格は立派と称されたのだ。

 また、郭太のかぶっていた頭巾の角が雨で曲がったのを見て、人々が頭巾の角をわざわざ曲げてかぶる様になった。容貌魁偉な人物は昔から人々の憧れだったのだ。

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2009年2月 4日 (水)

眼光紙背

 眼光紙背(がんこうしはい)とは、眼の力が紙の裏まで通るというこである。すなわち、文章の深い意味を読み取ることだ。

 出典は塩谷宕陰(しおのやとういん)だ。塩谷宕陰は江戸時代の儒学者である。塩谷宕陰が同僚の儒学者、安井息軒(やすいそくけんを評した文章が元になった。

 それは「書を読みて眼紙背に透(とおる)」であった。これから「眼光紙背に徹(とお)す)」となった。

 眼光紙背は英語で read between the lines(行間を読む)という。何事に於いても、眼光紙背で臨んで物事の本質を読み取りたいものだ。

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2009年2月 3日 (火)

老驥伏櫪

 老驥伏櫪(ろうきふくれき)とは、老いてもなお若いときと変わらぬ大志を抱くことである。「驥」は一日に千里を走る駿馬で、「櫪」はくぬぎの木だが床下の横木に用いられたことから馬小屋を指す。

 出典は歩出夏門行(ほしゅつかもんこう)である。歩出夏門行は曹操(そうそう)の詩だ。曹操は三国志で有名だが、悪役として描かれていた。近代では毛沢東が再評価し、劉備と並ぶ人気者となった。

 「老麒伏櫪、志在千里、烈士暮年、壮心不已」。駿馬は老いて馬小屋に伏すも、千里を思う志がある。烈士は暮年も、大望を抱いた心を抑えられない。

 歳取れば身体は老いてしまうが、烈士の心だけはいつまでも若いままである。曹操は詩の最後をこう締めている。「長く短き命のさだめは、ただ天のみに在るにあらず、身も心も安らかに養えよ、永き年も得べからん、ああ幸いなるかな、歌いて以て志を詠べん」と。

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2009年2月 2日 (月)

光風霽月

 光風霽月(こうふうせいげつ)とは、光の中を吹き渡る爽やかな風と雨上がりの澄み切った空の月ということから、心が澄み切ってさっぱりした人のことである。「霽」は晴れるという意味だ。

 出典は宋史だ。宋史は中国の元代に編纂された二十四史の一つで、四百九十六巻にも及ぶ。

 北宋の書家、黄庭堅(こうていけん)が大学者、周敦頤(しゅうとんい)の人柄をこう評した。「人品(じんぴん)甚(はなは)だ高く、胸懐洒落(きょうかいしゃらく)、光風霽月の如し。」

 光風霽月は世の中がよく治まっている様子にも使う。今は土砂降りの状態だが、雨が上がったときにはさっぱりとした気持ちの良い社会になって欲しいものだ。

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2009年2月 1日 (日)

明窓浄机

 明窓浄机(めいそうじょうき)とは、明るい窓と浄(きよ)らかな机という意味だ。すなわち、書斎としてあるべき姿を描いている。

 出典は試筆(しひつ)である。試筆は欧陽脩(おうようしゅう)の筆説だ。欧陽脩は北宋の政治家だが、詩人、文学者であり、歴史学者でもあった。

 「蘇子美常言、明窗淨几、筆硯紙墨、皆極精良、亦自是人生一樂。」蘇子美常に言う、明窓浄机にして筆硯紙墨、皆精良を極むるは、亦(また)自ら是(こ)れ人生の一楽なりと。蘇子美は欧陽脩の友人で詩人の蘇舜欽(そしゅんきん)のこと。

 現代では筆硯紙墨は最新のパソコンになるだろうが、明窓浄机は変わらない。私の机上は恥ずかしい限りだが、まだ人生の一楽を開拓する余地があるとしよう。

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