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2009年3月31日 (火)

心織筆耕

 心織筆耕(しんしょくひっこう)とは、文筆で生計をたてることである。心の中ではたを織り、筆によって田を耕し生活するということだ。

 出典は雲仙雑記(うんぜんざっき)だ。雲仙雑記は雲仙散録とも呼ばれ、中国晩唐の馮贄(ふうし)が編纂した古今の故事を集めたものだ。

 唐の王勃(おうぼつ)が頼まれて文を作り、その礼に黄金と織物を車いっぱいにもらった。当時の人はこれを心織筆耕と言ってからかったという。

  王勃は唐代初期の詩人だが、その頃は文筆で生計を立てるのは異例だったようだ。詩を詠うのは風雅な遊びに留めておいた方が良いのだろうか。

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2009年3月30日 (月)

水天髣髴

 水天髣髴(すいてんほうふつ)とは、はるか海上で水と空とが接していて、どこまでが水でどこまでが空かはっきり見分けられないことだ。水天は海と空、髣髴はぼんやりしてはっきりしないさまを意味する。

 出典は泊天草洋「天草洋(なだ)に泊す」である。泊天草洋は江戸後期の陽明学者、頼山陽(らいさんよう)が詠んだ詩だ。

 雲耶山耶呉耶越、水天髣髴青一髪、萬里泊舟天草洋、烟横篷窗日漸没、瞥見大魚波間跳、太白當船明似月。雲か山か呉か越か、はるか海上は海と空のさかいが青い髪を張った様に一線を画して連なっている。万里を経て天草の洋に船を泊す。霧は篷窓(ほうそう:船の窓)に横たわって日ようやく没す。大魚が跳るのが見えた。太白(金星)が船に当たって明月に似たり。

 頼山陽が西遊したとき、夕刻の天草灘を展望して詠んだ詩である。自然が織りなす絶景を見たときの感動は、昔から変わらないことがよくわかる。

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2009年3月29日 (日)

性行淑均

 性行淑均(せいこうしゅくきん)とは、性質やふだんの行為が善良でバランスが取れていることである。性行は、善悪の観点から見たその人の性質やふだんの行為を意味し、淑均とはしとやかで公平なこと。

 出典は前出師表(ぜんすいしのひょう)だ。前出師表は中国三国時代に諸葛亮(しょかつりょう)が魏への遠征に出発する前に、蜀漢の皇帝である劉禅(りゅうぜん)に奉った文章である。古来より名文中の名文と称されている。

 将軍向寵、性行淑均、堯暢軍事、試用於昔日、先帝称之、曰能。将軍向寵(しょうちょう)は、性行淑均、軍事に曉暢(ぎょうちょう)す。昔日に試用せられ、先帝これを称して能と曰(い)えり。

 出師表とは臣下が出陣に際して君主に送る奏文である。諸葛亮の出師表が有名なため、前後を区別するためもあって前出師表と後出師表と呼ばれている。前出師表が著名で、これを読み涙を落とさない者は不忠と言われている。現代ではリストラが横行しているので、誰も泣かないのではないだろうか。

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2009年3月28日 (土)

騒人墨客

 騒人墨客(そうじんぼっかく)とは、風流な文化人を意味する。騒人は中国楚(そ)の詩人、屈原(くつげん)を指す。

 出典は宣和画譜(せんながふ)である。宣和画譜は中国北宋の徽宗(きそう)の宮廷に収蔵されていた歴代の絵画の著録だ。撰者は不詳である。

 屈原は中国古代詩の傑作と賞される離騒の作者だ。離騒は、楚の非運を嘆く憂国の情と朝廷を追われる憂愁を幻想的に詠ったものである。「騒」は漢詩の一体を意味する。

 古来より風流人は詩を詠み絵を描いた。現代でも然り。物欲、拝金主義だけというのは御免こうむりたい。

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2009年3月27日 (金)

端木辞金

 端木辞金(たんぼくじきん)は、端木金を辞す、と読む。納得のいかない金は受け取らないということだ。端木は、孔子の弟子の子貢(しこう)の姓である。

 出典は孔子家語(こうしけご)だ。孔子家語は、論語から漏れた孔子一門の説話を集めたものである。

 中国春秋時代の魯(ろ)では、他国で使われている魯の召し使いを買い戻すには公金を使うように決められていた。しかし、子貢はこれを潔白ではないと公金を受け取ることを辞退し、私財によって買い戻した。孔子は魯には貧しい人が多く、公金で買い戻すことを潔白でないとするなら何によって人を買い戻すことができるのかといさめた。

 子貢は2500年以上前の政治家である。現代の政治家は、素性は問わずどんな献金でも受け取っている。端木辞金と言われた子貢は、孔子門下で一番金持ちだった。

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2009年3月26日 (木)

頂天立地

 頂天立地(ちょうてんりっち)は、天を頂いて地に立つと読む。すなわち、独り立ちして他人には頼らないことだ。

 出典は五灯会元(ごとうえげん)である。五灯会元は中国南宋に成立した禅宗の灯史だ。以前紹介した景徳伝灯録は、五灯会元の一つである。

 頂天は頂上を、立地は立場を表す。つまり、独立する気概を表す。満州国の国歌の一つにも、「頂天立地無苦無憂」と使われた。

 独立するなら、天を頂いて地に立たないといけない。天を仰ぐビジョンを持ち、着実に確実に歩めということだ。

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2009年3月25日 (水)

天孫降臨

 天孫降臨(てんそんこうりん)とは、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほににぎのみこと)が、国土平定のため高天原(たかまがはら)降臨したことである。降りたところは、日向国(ひゅうがのくに)の高千穂(たかちほ)の峰だった。

 出典は古事記と日本書紀だ。古事記と日本書紀を合わせて記紀(きき)と称することもある。古事記は712年、日本書紀は720年に完成した。

 瓊瓊杵尊は、天照大神の子、天忍穂耳尊(あめのおしほみみ)と高木神(たかみむすび)の娘、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)との間にできた子である。葦原中国平定(あしはらのなかつくにへいてい)は、元々、天照大神から天忍穂耳尊への命だったが、その子、瓊瓊杵尊に託された。

 WBCで日本が韓国を下して世界一となったが、不振にあえぐイチローが延長戦で勝ち越し打を決めたとき、神が降りたとコメントしたそうだ。イチローは日本人である。

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2009年3月24日 (火)

桃紅柳緑

 桃紅柳緑(とうこうりゅうりょく)とは、紅の桃の花と緑鮮やかな柳の葉を意味する。つまり、美しくさまざまな色彩に満ちた春の景色のことだ。

 出典は洛陽女児行(らくようじょじこう)である。洛陽女児行は、以前紹介し王維十八歳の作品だ。

 洛陽女児とは、洛陽(長安)に住む美女という意味で、桃紅柳緑の頃、田舎から出てきたばかりの王維の前に現れる。王維は曲を奏でる美女と自分との身分の差を嘆く。

 王維は春の情景を柳暗花明とも表現した。十八歳では春は桃紅柳緑と、貧乏であってもひたすら明るく表現していた。年齢が表現に深みを与えたのだろうか。

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2009年3月23日 (月)

年年歳歳

 知らなかった四字熟語が今年のテーマだが、これは例外で、春になるといつも連想する熟語である。改めて出典を調べてみた。

 出典は代悲白頭翁「白頭(はくとう)を悲しむ翁(おきな)に代わる」だ。代悲白頭翁は中国唐の詩人、劉希夷(りゅうきい)の代表作である。代悲白頭翁は、青春時代に栄華を極めた老人の心中を詠った詩だ。

 詩の中頃に「年年歳歳花相似。歳歳年年人不同。」とある。年年歳歳花相い似たり、歳歳年年人同じからず。この花は桃の花である。発表前に聞いた母方の親戚である宋之問(そうしもん)は、年年歳歳、歳歳年年の十四語を非常に気に入って、その句を譲るよう頼んだ。一度は承諾したものの、惜しくなった劉希夷はこれを断った。怒った宋之問は下僕に彼を殺させた。

 年年歳歳の下りでうら悲しくなるのは、人生のはかなさを歌ったものであるだけではなく、この逸話も思い起こすせいだろう。劉希夷がこの句を思いついたとき、自分の寿命も長くないと思ったそうだ。 

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2009年3月22日 (日)

南柯之夢

 南柯之夢(なんかのゆめ)とは、人生ははかなくむなしいものであるということのたとえだ。南柯は南へ伸びる枝のこと。

 出典は南柯太守伝(なんかたいしゅでん)である。南柯太守伝は中国唐の伝奇作家、李公佐(りこうさ)が書いた小説だ。

 唐の淳于壅(じゅんうふん)は自宅の槐(えんじゅ)の木の下で酔って寝てしまった。そこで見た夢に二人の使者の迎えをうけ、槐安国に行った。そして、国王の娘と結婚し南柯郡の太守となって20年を経たところで目が覚めた。槐安国とは、槐の木の下にある蟻の国であり、南柯郡とはその木の南向きの枝だった。

 以前紹介した黄梁一炊とは趣が少し違う。こちらの話は、もしかしたらわれわれも南柯郡の太守ではないかと言っているのだ。

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2009年3月21日 (土)

二桃三士

 二桃三士(にとうさんし)とは、二桃、三士を殺す、と読む。二つの桃を三人で争わせ全員を自滅させるたとえである。

 出典は晏子春秋(あんししゅんじゅう)だ。晏子春秋は、中国春秋時代の斉の宰相、晏嬰(あんえい)について書かれたものである。晏嬰は庶民の立場で君主を諌(いさ)め、名宰として知られている。

 晏嬰は、将来の憂いの三勇者、公孫接(こうそんしょう)、田開彊(でんかいきょう)、古冶子(こやし)に、「三人のうち功の大きいもの二人に与える」と二つの桃を斉王から贈らせた。公孫接と田開彊が自分の功を誇って真っ先にその桃を手に入れたが、古冶子の功が一番大きいと知り、二人とも恥じて自害した。古冶子も自分だけ生きているのは義に反すると後を追い、晏嬰の思惑通りになった。

 晏嬰の知恵が三勇者に勝ったということだが、三勇者の仁を尊ぶ姿勢は立派だ。三勇者には晏嬰の策略を見抜く知恵がなかった。争いを勝ち抜くのは知恵である。

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2009年3月20日 (金)

白雲孤飛

 白雲孤飛(はくうんこひ)とは、青い空に白い雲が一片ぽつんと浮かぶのを見て、その下に住む親を思って悲しむことだ。すなわち、旅の途中で親を思い起こすこと。

 出典は大唐新語(だいとうしんご)である。大唐新語は中国唐の劉粛(りゅうしゅく)が編纂した。

 唐の名臣と謳われた狄仁傑(てきじんけつ)が、任地である山西省并州(へいしゅう)の地から遠くに住む父母を思い、太行山(たいこうざん)から臨んだ。あの白雲の下に父母がいると部下に言い、長いことたたずんでいたことを望雲之情(ぼううんのじょう)という。

 青空に浮かぶ白い雲を見て何を思うだろう。もし眺めた方向が故郷なら、父母を思い起こしたい。

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2009年3月19日 (木)

比翼連理

 比翼連理(ひよくれんり)とは、男女の仲がむつまじいことのたとえである。男女の深い契り、相思相愛の仲を表す。

 出典は長恨歌(ちょうごんか)だ。長恨歌は中国唐の詩人、白居易(はくきょい)の玄宗皇帝と楊貴妃の逸話を詠った長編詩である。

 楊貴妃との仲に溺れた玄宗は、そのために起きた安史の乱を収めるため、楊貴妃をよく思わない兵をなだめようと彼女の殺害を許した。殺害された楊貴妃の魂は玄宗との思い出を「天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝となりましょう」と伝えた。

 比翼の鳥とは、雌雄それぞれ目と翼が一つずつで、常に一体となって飛ぶという想像上の鳥である。連理の枝とは、根元は別々の二本の木が幹や枝が途中でくっついたものだ。楊貴妃を失った悲しみが絶えることはないだろうと長恨歌は締めている。

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2009年3月18日 (水)

風清弊絶

 風清弊絶(ふうせいへいぜつ)とは、風習がよくなって、悪事がなくなることだ。弊絶風清ともいう。

 出典は拙賦(せつふ)である。拙賦は中国北宋の儒学者、周敦頤(しゅうとんい)が著したものだ。
 
 風清は風習がよくなること。弊は害になるようなことで、それが絶えるという意味だ。

 周敦頤は誰でも「誠」を持っているとし、学問による研鑽こそが聖人の道へ通じると主張した。実際、子供の頭を良くするには勉強させることしかない。敢えて言うなら、ゆとり教育では周敦頤が望む「風清弊絶」は実現しない。

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2009年3月17日 (火)

放胆小心

 放胆小心(ほうたんしょうしん)とは、大胆で思い切り良く、かつ怯胆で臆病ということである。これを文章の作法に応用し、初心者は思い切って大胆に表現して書くのがよく、玄人は細かい点に注意を払うのがよいという教え。

 出典は文章軌範(ぶんしょうきはん)だ。文章軌範は南宋の政治家、謝枋得(しゃぼうとく)が編纂した。

 放胆小心は元々性格を表す言葉だが、謝枋得は文章の分類に用いた。すなわち、放胆文と小心文があるということだ。

 放胆な文章とは、修辞上の規則にとらわれない思い切った表現である。逆に小心な文章とは、修辞に細かい注意を払い練り上げた文章となる。放胆小心を意識して文章が書けるよう頑張ろう。

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2009年3月16日 (月)

万能一心

 万能一心(まんのういっしん)とは、万能足りて一心足らずの略だ。つまり、多くの才能に恵まれていても、努力する心がけがなければ何事も成就しないという意味になる。

 出典は竹馬抄(ちくばしょう)である。竹馬抄は室町幕府の管領、斯波義将(しばよしまさ)が子孫のために残した家訓だ。

 竹馬抄は全十条で構成され、その第七条に万能一心が登場する。第七条は人を使う心得について述べており、人を使うときは自分の好みではなく適材適所で考えろといっている。続けて、心が正直でない人は何事も完成させることはできないとあり、それが万能一新とある。

 人間のDNAは共通のものであり、どんな特性も備えている。願い努力すれば、どんな能力も出現する。

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2009年3月15日 (日)

夢幻泡影

 夢幻泡影(むげんほうよう)とは、夢と幻、泡と影のことである。すなわち、人生ははかないものという例え。

 出典は金剛般若経(こんごうはんにゃきょう)だ。金剛般若経は数ある般若経典の中でも、最古に編纂されたものと考えられている。

 一切有為法、如夢幻泡影、如露亦如電、応作如是観。一切の有為法は、夢と幻と泡と影の如く、露の如くまた電の如し、まさにかくの如き観を作すべし。

 確かに人生ははかない。だからこそ、その刹那を懸命に生きたい。

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2009年3月14日 (土)

明眸皓歯

 明眸皓歯(めいぼうこうし)とは、美女の形容だ。美しく澄んだ瞳と白くきれいな歯という意味になる。

 出典は洛神賦(らくしんふ)である。洛神賦は曹植(そうしょく)が著した物語だ。曹植は曹操の五男である。

 明眸皓歯は楊貴妃の美貌びぼうを形容した語だ。皓は白くきれいなことである。

 美しい目と白い歯は現代日本でも美人の条件となるが、現代の中国では、美しい目は心の健康、白い歯は体の健康を意味する。よって、中国で明眸皓歯と言えば、よい嫁の条件となる

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2009年3月13日 (金)

孟母三遷

 孟母三遷(もうぼさんせん)とは、子供の教育には環境を選ぶことが大切という教えである。孟母は孟子の母のことだ。

 出典は列女伝(れつじょでん)だ。列女伝は中国前漢の劉向(りゅうきょう)によって撰せられた女性の史伝を集めた歴史書である。

 孟子は幼い頃墓のそばに住んでいたが、葬式のまねごとばかりしていたので、孟子の母は街中に越した。そうすると、商売のまねごとで遊んだ。今度は学校のそばに引っ越したところ、礼儀作法を学ぶようになったので、やっと母は安心した。

 この故事は史実ではないとされているが、子育ての手本となった。なお、三遷は三回引っ越したからではなく、多数転居したという意味だ。

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2009年3月12日 (木)

薬籠中物

 薬籠中物(やくろうちゅうのもの)とは、薬箱の中の常備薬のことだ。転じて、いつも手なずけておき、味方として自由に働かせられる人を意味する。

 出典は旧唐書(くとうじょ)である。旧唐書は、中国五代十国時代の後晋出帝のときに劉昫(りゅうく)によって編纂された。二十四史の一つである。

 唐の政治家、狄仁傑(てきじんけつ)は多くの人を重用し、その一人に、元行沖(げんこうちゅう)という博学の人材がいた。行沖が、仁傑の門には珍味が多くあるので腹をこわさないよう私のような薬の粉末みたいな人物も加えてくれと言った。仁傑は笑って、君は私の薬籠中の物だから一日もなくてはかなわない大切な人物だと答えた。

 仁傑は部下を手なづけていたというより、人望を集めていた。人間関係は太陽と北風の様なものだ。

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2009年3月11日 (水)

有脚書厨

 有脚書厨(ゆうきゃくしょちゅう)とは、脚のある書斎ということである。転じて、博学多識の人をいう。

 出典は中呉紀聞だ。中呉紀聞は中国宋時代に龔明(きょうめい)によって編纂された。

 幼少より苦労して勉強し、やがて有脚書厨となる。多くの分厚い書物を持ち運ぶことが出来ない時代は、知識を頭に入れて有脚書厨となることが理想だった。

 現代は電子辞書を持ち歩けば誰でも知識を持てる。だからと言って、何も覚えなくて良いわけではない。

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2009年3月10日 (火)

瑶林瓊樹

 瑶林瓊樹(ようりんけいじゅ)とは、宝石のように美しい林と木ということだ。転じて、品格が気高く、人並み外れてすぐれていることの例えとなった。

 出典は世説新語(せせつしんご)である。世説新語は、中国南北朝時代の宋の劉義慶(りゅうぎけい)が編纂した後漢から東晋までの逸話を集めた小説集だ。

 瑶も瓊も、ともに美しい玉(ぎょく)のことで、すぐれて美しいもの、高潔なものを表す。瑶林で玉の林、瓊樹で玉の樹ということだ。

 あなたは瑶林瓊樹と聞いて誰か有名人を思い浮かべるだろうか?思い浮かばなければ、瑶林瓊樹は流行らないとマスコミに登場させない今の世のせいだ。

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2009年3月 9日 (月)

洛陽紙価

 洛陽紙価(らくようのしか)とは、「洛陽の紙価高からしむ」という使い方で用いられる。著書が評判となり、盛んに売れて読まれることである。

 三都賦(さんとのふ)という書物からこの言葉は生まれた。三都賦は中国西晋の文学者、左思(さし)である。「洛陽紙価」という熟語自体のの出典は、以前に「月下氷人」で紹介した晋書だ。

 三都賦が洛陽で発表されると、人々はこぞって三都賦を筆写した。このため洛陽城内の紙の価格が高騰し、洛陽の紙面を高からしむという故事が生まれた。

 三都賦とは、三国時代の蜀、呉、魏、三都の状況や制度を書いたものである。左思はこれを書くため、多くの書物と現地調査で裏付けを行いながらトイレの中にも筆記具を置くほど熱心な活動を10年も続けた。ヒットを出すにはそれ程の努力が必要なのだ。

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2009年3月 8日 (日)

柳暗花明

 柳暗花明(りゅうあんかめい)とは、柳がほの暗く茂り花が明るく咲く、春の景色のことだ。転じて、行き詰まったかと思った途端に新しい展開が開けることにも例える。また、花柳界、遊郭のことを指すこともある。

 出典は早朝(そうちょう)という詩である。この詩は中国唐の高級官僚であり詩人の王維(おうい)が書いたものだ。同時代の詩人李白が詩仙、杜甫が詩聖と呼ばれる、王維は典雅静謐な詩風から詩仏と呼ばれた。

 王維は「柳暗百花明、春深五鳳城」と詠った。最初は柳暗百花明だったのだ。五鳳(ごほう)は漢と呉で使われた元号なので、春深五鳳城と春が深い緑の中の古城を表している。

 ここまでと思えばそこまで、と言われる。行き詰まっても新たな展開の可能性を信じて頑張ろう。五鳳城がいつまでも壊されずにあるのは、先人の努力に敬意を表しているからだ。

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2009年3月 7日 (土)

冷暖自知

 冷暖自知(れいだんじち)とは、冷暖、自(みずか)ら知る、と読む。すなわち、冷たい暖かいという自分のことは、他人から言われなくてもわかるという意味である。

 出典は景徳伝灯録(けいとくでんとうろく)だ。景徳伝灯録は、中国北宋代に道原によって編纂された禅宗を代表する燈史である。

 如人飲水、冷暖自知。水を飲む人には、水が冷たいか暖かいかは自ずとわかる。

 悟りは自らが体験するしかないということなのだ。しかし全てのことを自ら体験することはできない。そこで必要なことは、先人の知恵を知り感動する感性ではないだろうか。

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2009年3月 6日 (金)

老少不定

 老少不定(ろうしょうふじょう)とは、老人が先に死に若者が後からになるとは限らないということだ。少は若いという意味である。

 出典は観心略要集(かんじんりゃくようしゅう)である。観心略要集は、平安時代中期の天台宗の僧、源信(げんしん)晩年の作と伝えられている。

 室町時代の浄土真宗の僧、蓮如(れんにょ)は、人間を「されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり」といった。そして「されば人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば」といい、念仏を唱えることを勧めた。

 西アフリカ西部のシエラレオネ共和国は内戦が続き、平均寿命が何と34歳にしかならない。これは極端としても、ジンバブエ37.9歳、アフガニスタン42.6歳である。国状が安定しているところでも、南アフリカ50.7歳、ケニア50.9歳だ。戦前は人生五十年と言われた。だからこそ五十歳まで生きれば、それからからどう生きるかが重要になって来る。

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2009年3月 5日 (木)

和羹塩梅

 和羹塩梅(わこうあんばい)とは、様々な味を混ぜ合わせ羹(あつもの)を作ることである。転じて、主君を補佐し国を適切に治める有能な大臣のこととなった。

 出典は書経(しょきょう)だ。書経は、政教を記した中国最古の歴史書である。儒教の経典、五経の一つに挙げられている。

 和羹はいろいろな材料、調味料をまぜ合わせ、味を調和させて作った羹である。塩梅は、塩と調味に用いる梅酢のことだ。和羹は塩梅を程よく加えて味付けすることから、上手に手を加え国を良いものに仕上げる大臣のことを意味することとなった。

 今の日本で、和羹塩梅と称される大臣は誰だろうか。それ以前に今の政治をどう味付けしようと、とても食えた物ではないと思うのだが。

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2009年3月 4日 (水)

閑雲野鶴

 閑雲野鶴(かんうんやかく)とは、世俗のことに拘束されず自由にのんびりと暮らすことだ。悠々自適の生活を送ることをいう。

 出典は全唐詩話(ぜんとうしわ)である。全唐詩話は、中国清の康熙帝(こうきてい)の勅命により編纂された唐詩の全てを収録した漢詩集で、九百巻にも及ぶ。

 閑雲は空に浮かぶ雲を現し、野鶴は野に遊ぶ鶴を意味する。つまり、大空にゆったりと浮かぶ雲と、広い野に気ままに遊ぶ野生の鶴ということである。

 厳しい時代に、なかなかこの様な暮らしぶりは難しいかも知れない。しかし、心だけはゆったりと構えて悠然と生きたいものだ。

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2009年3月 3日 (火)

泰山北斗

 泰山北斗(たいざんほくと)とは、泰山と北極星のことを指す。すなわち、その道で大家と仰ぎ尊ばれる人を意味する。

 出典は新唐書(しんとうじょ)だ。新唐書は、中国唐の正史であり、二十四史の一つである。旧唐書(くとうじょ)と区別するために新唐書というが、単に唐書と呼ぶこともある。

 泰山北斗は、元々唐の韓愈(かんゆ)のことを指す。韓愈は唐代三百年間の第一人者だけではなく、中国の古今東西を通じ屈指の名文章家である。

 泰山は中国山東省にあり、古来より名山と尊ばれている。また北斗こと北極星も星の中心として仰がれていた。現代では泰斗と略されて使われることが多いが、みなさんが学ばれる分野で咄嗟に思い浮かぶのはどなただろうか。

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2009年3月 2日 (月)

桃園結義

 桃園結義(とうえんけつぎ)とは、桃園に義を結ぶと読む。義兄弟の契りとも呼ばれ、力を合わせて事にあたることを意味する。

 出典は三国志演義(さんごくしえんぎ)である。三国志演義は、中国明代に書かれた三国志をテーマにした歴史小説で、四大奇書(三国志演義、水滸伝、西遊記、金瓶梅)の一つだ。作者は特定されていない。

 主人公の劉備玄徳(りゅうびげんとく)、関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)の三英雄は、助け合って民衆を救い生死を共にせんと、桃畑で行われた宴会で義兄弟の契りを結んだ。この桃園の誓いは、三人の親交を基にして創作された逸話である。

 明日は桃の節句なので、桃にちなんだ四字熟語を探してみた。春がやって来たのに厳しい時期が始まる。身近な人々と桃園結義で頑張ろう。

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2009年3月 1日 (日)

孫康映雪

 孫康映雪(そんこうえいせつ)とは、孫康が雪明かりで読書したという意味である。これから、苦労して勉学に励む例えとなった。

 出典は初学記(しょがくき)だ。初学記は中国唐の徐堅(じょけん)が編纂した当時の百科事典に当たる。

 晋の武将、孫盛(そんせい)の孫、孫康は家が貧しかったため、灯をともす油が買えず雪を集めてその光で勉強した。後に御史大夫(ぎょしたいふ)まで出世した。

 孫康と同時代に家が貧しく灯をともす油が買えなかった車胤(しゃいん)は、絹の袋に蛍を集めその光で読書した。この二人の姿勢を合わせて蛍雪の功という故事となった。

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