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2009年5月 7日 (木)

2年

 西暦2年はどんな年だったかというと、第3次パルティア戦争が勃発した年でした。われわれ日本人にパルティアとは聞き慣れない言葉であります。ヨーロッパに隣接したアジアで習ったのはペルシャ帝国とアーリア人の侵略くらいだったのではないでしょうか。ということで、今日はパルティアの歴史を勉強したいと思います。

 紀元前227年、勢力が衰えたペルシャの後、イラン高原東北部にアルサケスがパルティアを建国しました。アルサケスは最古の騎馬民族と言われるスキタイを源流に持つダーハ族から分流したパルニ族の遊牧民の長でありました。この頃、遊牧民は南へ進行し始めていたのです。

 紀元前141年になると、パルティアのミトラダテス1世はバビロニアの侵攻に成功しインド北西部まで征服します。そして紀元前123年から王位を継いだミトラダテス2世はメソポタミアからインダス川までを支配し、イラン地方の覇者となり、バシレウス・バシレイオン(諸王の王)と名乗るまでになりました。紀元前92年には初めてローマと会談して接触を開始しました。その後、ローマから侵攻を受けることになり、また王位継承の内紛に負けたミトラダテス3世がローマに逃げて支援を受けることになり、紀元前53年にローマ軍がパルティアに進軍しました。これが第1次パルティア戦争で、結局パルティアが勝利を収めます。紀元前39年にはシリアの奪取をかけて第2次パルティア戦争がおこり、そして西暦2年にアルメニアの領有を巡って第3次パルティア戦争が起こりました。その後、ローマとパルティアとの戦争は続き、西暦217年の第8次パルティア戦争まで続きます。

 パルティアは遊牧騎馬民族が起こした国なので、弓と馬が得意でした。当然軍隊も主力兵は軽装で弓だけを用いて戦っていました。基本的な先頭パターンは、敵と一定の距離を保って弓を引くものでした。できるだけ白兵戦の会戦を避け、会戦になりそうになるとすぐ退却し、退却しながらまた弓を引いてくる。それで敵の体勢が崩れるとまた引き返して攻め込むという遊牧民特有の戦法でありました。この戦法にローマ軍はかなり苦しんだ様です。ローマ帝国が初めて対峙した遊牧民がパルティアだったので、彼らが逃げるとき馬上から振り返り様に弓を打つことを「パルティアン・ショット」と呼んだそうです。今ではパルディアン・ショットは「捨てぜりふ」の意味になったそう。本来のパルティアン・ショットは逃げながら射る矢ではなく、彼らの戦法でありました。

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コメント

なかなか興味深い趣向のブログですね。
毎日、楽しみにしております。

投稿: trao | 2009年5月 7日 (木) 20時48分

 コメントありがとうございます。毎晩歴史の勉強をして明日に備えようと思っています。よろしくお願いします。

投稿: Toshio Ito | 2009年5月 8日 (金) 00時05分

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