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2009年5月12日 (火)

7年

 西暦7年、ヴォノネス1世がパルティア皇帝に即位て2年目となりました。ローマに人質として送られていたのですが、パルティア王位の継承問題の混乱から返してくれと求められ王として帰国したのです。今夜はこの継承問題を取り上げましょう。

 紀元前77年、80歳という高齢で王位を継いだシナトルケスが7年後に崩御し、その後を継いだのが息子、フラーテス3世でありました。フラーテス3世はアルメニアの侵攻に成功し、領土の一部を奪回と活躍したのですが、何と息子のオロデス2世とミトラダテス3世に暗殺されてしまいました。そしてオロデス2世が王位につき、継承に負けたミトラダテス3世はローマに逃げ、第1次パルティア戦争のきっかけを作ってしまました。

 オロデス2世はパルティアン・ショットでローマ軍に大勝利しました。その後の戦いで長男であり後継者として筆頭のパコルス1世を亡くし、ローマ軍にも破れました。オロデス2世には30人も息子がいたので、筆頭がいなくなれば王位継承問題が勃発するのは必至でありました。この継承レースを抜け出したのがフラーテス4世です。フラーテス4世はオロデス2世を暗殺してしまいました。そして王位につき兄弟を殺して政権の安定を図りました。フラーテス4世にはヴォノネス1世という息子がいたのですが、ローマの圧力をかわすためアウグストゥスと講和するため息子を人質に出し、代わりにアウグストゥスが贈ったイタリア人の奴隷の少女ムサと結婚しました。ムサとの間にはフラーテス5世が生まれました。

 彼女は息子を生んだ頃、女神ムサとまで呼ばれる様になっていました。奴隷から女神へと駆け上がった彼女は、自分の息子フラーテス5世に王位を継がすべく、紀元前2年にフラーテス4世を毒殺し息子に王位を継がせたのでした。更にあろうことか、自分の息子と結婚し、ムサは王妃となってしまったのでした。しかしこんなことで国が治められるはずがありません。パルティアの貴族は大反発し、西暦4年にフラーテス4世と共に殺害されてしまいました。貴族達はオロデス3世を王に擁立したのですが、やり方が残虐だと国内の支持が得られないばかりか殺害までされてしまいました。パルティア王はやはり直系からと、ここでヴォノネス1世がローマから呼び返されたのでありました。皮肉にも、ローマで何不自由なく育てられたヴォノネス1世は当然ながら親ローマ政策を取り、これがローマの傀儡(かいらい)と見なされ国内の支持が得られなかったのです。そして彼も西暦12年には王座を追われてしまうのでした。

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コメント

興味深く読ませていただきました。国王フラーテス5世と王妃ムサの間に子供が生まれたのかどうか気になりますね。ムサからすると先代のフラーテス4世の時代は側室の一人でしかなく、息子のフラーテス5世の時代に晴れて王妃になれたということですね。

投稿: | 2018年5月13日 (日) 07時26分

ムサとフラーテス5世がどのような思いで夫婦になったのか知りたいですね。

投稿: | 2018年5月15日 (火) 00時30分

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