56年
西暦56年は閏年でありました。この年、後漢の光武帝が封禅(ほうぜん)の儀を執行し、元号を建武から建武中元に変更しました。
封禅の意味はと申しますと、「封」は土を盛り壇を造って天を祀(まつ)ること、「禅」は地をならして山川を祭ることであります。この封禅の儀は、中国古代より泰山で帝王が天と地に王の即位を知らせ、天下が太平であることを感謝する儀式でありました。
封禅の儀が初めて執り行われたのは、夏より以前の三皇五帝(さんこうごてい)からであります。そして、秦の始皇帝以前に72人の帝王がこの儀を行ったと史記に記載されています。秦の始皇帝が紀元前219年に封禅の儀をやろうと思ったときには、既に長らく儀式は行われておらず、手探りでやったそうです。秦の始皇帝が封禅の儀をやったのは、自分の偉さを現したかったのかも知れません。始皇帝以前は「皇帝」という言葉はなく、単に何々帝と呼んでいたのです。ところが始皇帝は自分は三皇五帝よりも偉いと考え、三皇五帝の「皇」と「帝」を取り出し「皇帝」と造語したのであります。
始皇帝の次に行ったのが、秦の2代目皇帝、胡亥(こがい)であります。秦代ではこの二人しか行われず、次が漢の武帝が紀元前110年から紀元前89年の間に8回も行いました。武帝以降の帝王は封禅を行わず。後漢を迎え建武32年にして、ようやく光武帝が封禅を行うことになりました。光武帝は、自分が始皇帝や武帝ほど大きなことをやっていないと思ってはいたものの、治世して32年も経ち、自分もそろそろ歳ということもあり思い切って封禅の儀を行ったのです。そのおかげでこれ以降は儀式を行う敷居が下がり、並の帝王でも封禅を行う様になったのであります。
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