87年
西暦87年、ガリアの中心地リオンの人口が10万人を超えました。今夜はこれまで取り上げなかったガリアを勉強しましょう。
当時の世界人口は2億から4億人と推定されています。現在の世界人口が60億超ですから、当時は現在の約20分の1ということになります。現在のリオンの人口が約46万人ですから、当時のリオンはかなり賑わっていたことになります。当時でも人口密度は1平方Kmあたり約2000人となり、活発な都市であったとわかります。
元々ガリアとは、紀元前4世紀頃イタリア北部に住んでいた部族をローマ人がガリア人と呼び、そこをガリアと名付けたことに由来します。ローマ人が勢力を拡大して北上して行くと、アルプスを挟んでガリア人がいたので、ガリアが広がって行きました。最初のローマ属州となったのはアルプスの南側のガリア・キサルピナでありますが、帝政ローマが始まったアウグストゥス帝の時代にローマに編入され、ガリア地域とは呼ばれなくなりました。次に属州となったのが、アルプスの西、ガリア・トランサルピナであります。紀元前58年、カエサルがガリア・キサルピナとガリア・トランサルピナの属州総督に任官されました。カエサルはここを拠点に北上する8年間にも及ぶガリア戦争を起こします。紀元前51年にはガリアの全土を制圧し、ガリア全てをローマの属州としました。ガリア戦争で制圧した地域はケルト族、ベルガエ族、アクィタニア族の居住する地域に三分されるので、これらをそれぞれの属州としました。
ケルト人の居住地域はガリア・ケルティカという属州にしました。現フランス北・中部に相当します。この部族は長髪が多いことからガリア・コマタとも呼ばれていました。ベルガエ人の居住地域はガリア・ベルギカという属州になりました。現フランス北部からベルギーに相当します。もちろんベルギーはベルギガに由来します。そして、アクィタニア人が居住していた地域はガリア・アクィタニアと呼ばれました。現フランス南西部に相当します。ガリアは属州の中で比較的安定し、最もローマの影響を受けた地域と言われております。4世紀にはガリア全土でラテン語が母国語となり、ローマ文化を取り入れたガロ・ローマ文化を形成しました。
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