65年
西暦65年、ネロは暴君として仕上がりの仕事をします。愛するポッパエアを殺し、恩師セネカまでも処刑してしまうのです。
西暦54年に若くして皇帝となったネロを補佐し、5年の良き時代と評された期間を支えたのがブッルスとセネカでした。小アグリッピナの殺害計画を認めていたブッルスとセネカでしたが、ポッパエアとの結婚には反対していました。ブッルスが殺害されセネカが引退し、やっとポッパエアとネロは結婚できました。ルキウス・アンナエウス・セネカは引退後、文筆業に力を入れ、数々の悲劇を生み出しました。
西暦65年になって、ネロを退位させてガイウス・カルプルニウス・ピソを皇帝に擁立しようという計画が持ち上がります。当然のことでしょう。ところがこの計画がネロに露見してしまったのです。ピソを始め、計画した一味が捕らえらて行きました。その状況で、犯人の一人がセネカも関わったと白状しました。セネカは曖昧な対応を続け埒があかないので、ネロはセネカに自殺を命じたのであります。セネカは最期に、ネロは弟を殺し、母を殺し、妻を殺し、あとは師を殺す以外何も残っていないと言ったそうです。
やっとネロと結婚できたポッパエア・サビナは、一人娘クラウディア・アウグスタを産みました。アウグスタの称号は喜びの余りネロが名付けたのです。しかし娘は数ヶ月で亡くなってしまいました。皇帝の妻としてポッパエアの評判は良くなかったようです。キリスト教徒の弾圧もポッパエアが指図したという説もあります。そんなポッパエアが二人目を懐妊しました。ところがネロの放蕩ぶりを叱り口論となります。ポッパエアはネロより7歳年上だったのです。ネロは激情して、妊娠中のポッパエアを蹴り殺してしまいました。正気に戻ったネロはさぞかし悲しんだことでしょう。遺体の処置は火葬にせず、香料を詰めて香油に漬けたままにしたと言われています。ネロはセネカの最後の言葉の通り、弟、母、妻、師を殺したのですが、苦労して結婚した二人目の妻と自分の子まで殺してしまったのであります。ネロの世はもう長くはないでしょう。
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