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2009年7月12日 (日)

68年

 西暦68年、遂にネロの世が終わり、ユリウス・クラウディウス朝はここで絶えます。そして、ローマは皇帝制度を維持すべくガルバを皇帝に立てました。

 ネロはこれまで身内を手掛けて来たのではありますが、ローマ市民からは愛されていました。カエサルの血を引くユリウス・クラウディウス朝の皇帝ですし、現に就任以来立派な皇帝ぶりを発揮していたのです。ところが、ローマ大火で初めて市民から疑いをかけられました。キリスト教徒を迫害して気をそらそうと張り切りすぎて、その度を超した残忍な迫害のため、市民はかえってキリスト教徒の同情をかい、ネロは狼狽えてしまいました。

 ネロは市民の支持を回復すべく、とんでもないことをやりました。市民の前で歌ったのです。ネロは元々音楽好きで、既にギリシャで歌手としてデビューしていました。しかしこんなことをやれば元老院や騎士達の指導者層の支持を得られるはずはありません。これが西暦65年の「ピソの陰謀」に繋がったのです。その後も、第2の暗殺計画「ベネヴェントの陰謀」が発覚しました。これはローマ前線の将校達が荷担した陰謀で、指導者層のみならず、軍人からも皇帝失格とされたのです。陰謀は未遂に終わり荷担した将校達は処刑したのですが、よく調べもせずパルティア問題を解決した英雄コルブロも処刑してしまったのです。ネロはこれで一件落着と安心し、ギリシャへ歌手巡業に旅立ちました。

 西暦68年1月、ギリシャ巡業を終えたネロは凱旋式を行いました。これが引き金となり、ガイウス・ユリウス・ヴィンデックスがタラコンネシス属州総督ガルバに皇帝就任を扇動します。これを各地の属州総督が支持し、元老院はネロを国家の敵と宣告します。ネロの周りからどんどん人が消えて行き、最後を悟ったネロはさんざん近習を手にかけたものの喉を剣で貫き自殺してしました。享年30歳、オクタウィアが死去した日と同じ6月9日のことでした。遺体はかつての恋人、解放隷女のアクテにより火葬されマルス広場に葬られたのであります。こんなネロにも市民は同情を示し、墓の前に献花が絶えることはなかったと記録されています。

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