59年
西暦59年、ローマ帝国の皇帝ネロは自ら暴君への道を歩み始めました。義理の弟ブリタニクスの次に、母親小アグリッピナを殺害したのであります。
夫を毒キノコで殺し念願のわが子ネロを皇帝にした小アグリッピナは、政治についても口をはさみ始めました。西暦54年、ネロが皇帝に就いたときはまだ17歳だったので、家庭教師の哲学者ルキウス・アンナエウス・セネカと近衛長官のセクストゥス・アフラニウス・ブッルスの補佐を受け治世していました。そのせいもあり、この頃のネロは若いのに名君と評判でした。ところが、ネロは小アグリッピナの干渉を疎ましく思う様になっていました。
ネロはクラウディウスの娘オクタウィアを妻としていましたが、解放奴隷のアクテを寵愛していました。小アグリッピナは当然アクテを引き離そうとします。このためネロと小アグリッピナとの間に緊張が高まりました。小アグリッピナはクラウディウスの息子ブルタニクスに注目し始めます。ブルタニクスには帝位継承権があり、成人すれば前皇帝の血を引く者として帝位継承権を行使できるのです。西暦55年、ネロは晩餐中にブルタニクスを暗殺しました。
ネロと小アグリッピナとの緊張は更に高まりましたが、セネカやブッルスが仲裁に入り何とかなっていました。ネロは小アグリッピナとナポリに旅行し、小アビリッピナがナポリ湾をはさんだ別荘に戻ることになると、豪華な船を用意してそれで湾を遊覧して帰るよう勧めました。この船には細工がしてあり、湾の半ばで沈没させ彼女を溺死させるつもりだったのです。そして計画は実行されたのですが、意外や小アグリッピナは岸辺まで泳ぎ助かります。小アグリッピナが助かったことを伝えるため、使者がネロの元に派遣されました。ネロは使者が短剣を持っていたので、それを小アグリッピナが皇帝に刺客を仕向けたと難癖を付けます。小アグリッピナは皇帝暗殺の容疑で、ネロが派遣した近衛兵によって殺されました。このとき小アグリッピナは近衛兵に向かって下腹部を指差し、ネロはここから生まれてきたのだからここを刺せと叫んだと伝えられています。
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