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2009年7月23日 (木)

79年

 西暦79年、第九代ローマ皇帝のウェスパシアヌスが崩御しました。ウェスパシアヌスはフラウィウス朝の創始者となり、自分の後の皇帝を息子のティトゥスとドミティアヌスに継がせました。

 元老院に皇帝と認められたのは西暦69年12月ですが、ウェスパシアヌスがローマ入りしたのは西暦70年になってからでした。ウェスパシアヌスが最初にやったことは、ユリウス・クラウディウス朝の皇帝たちと同じ権限を彼に付与する「ウェスパシアヌスの命令権に関する法律」を制定することでした。これで、ウェスパシアヌスは、栄光のユリウス・クラウディウス朝の皇帝達と同じ権力を保証する法的基盤を整備したことになります。しかし、従来元老院に与えられていた皇帝弾劾権を否定してしまいました。つまり皇帝の政権交代は、皇帝が崩御することだけにより行われることになったのであります。これにより、政権を変えるため皇帝を暗殺することが横行することになってしまいす。

 ウェスパシアヌス皇帝が腐心したのは、ネロが散在して、四皇帝の時代にそのままとなっていたローマ財政の建て直しでした。その政策の中で現在にも名残のあるものが有料の公衆便所です。西暦74年に始めたのですが、敵対者はせこいと嘲笑しました。これにウェスパシアヌスは「Pecunia non olet:金は臭わない」と反論しました。これは金銭に貴賎なしを意味する有名な文句となりました。現在でもヨーロッパの公衆トイレは、ウェスパシアヌスの名前で呼ばれています。

 西暦79年はローマでもう一つ歴史的な事件が起きました。それはヴェスヴィオ火山に噴火によるボンペイ市の消失であります。西暦62年の地震から復興中だったポンペイですが、8月24日にヴェスヴィオ火山が大噴火し、一昼夜に渡って火砕流を噴出し続け、翌日にはポンペイ市と近隣の町、スタビアエ、オプロンティス、ヘルクラネウムを埋め尽くしてしまいました。これによりボンペイ市の総人口1万人が一夜にして失われたのであります。

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