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2009年7月10日 (金)

66年

 西暦66年、1月にハレー彗星が出現します。この星はユダヤ人に勇気を与え、7年にも及ぶローマ帝国とのユダヤ戦争を起こしました。

 紀元前5000年頃、チグリス川とユーフラテス川がペルシャ湾に流れ込む古代メソポタミアでシュメール人による都市国家がウルが発生しました。紀元前2000年にウルはバビロニアのハムラビ王に滅ぼされます。紀元前1800年頃、ウルからハランへ北上するセム部族としてアブラハムは生まれ、約束の地カナンへと旅立ちます。アブラハムの子イサク、イサクの子ヤコブはイスラエルと改名します。イスラエルの一族はエジプトに移住しますが、紀元前1230年頃モーセを中心としてエジプトを脱出し、約束の地カナンに向かいます。40年の放浪の後、モーセの後継者ヨシュアは散らばっていたイスラエル諸属を集めカナンに定住しました。

 その後、この地は南北に別れてしまうのですが、紀元前995年にダビデが両国の間のエルサレムを拠点としたイスラエル王国として統一します。ダビデの子ソロモンが引き継ぎ国は栄えたのですが、ソロモンの死後再び北はイスラエル王国、南はユダ王国と分離し、両国は争いを繰り返し国力が衰えてしまいました。紀元前586年、新バビロニアの攻撃によりユダ王国が滅亡し、ユダヤ人はバビロンに捕虜として連れて行かれました。紀元前538年、ペルシア王大キュロスは新バビロニアを滅ぼし、ユダヤ人を解放します。紀元前458年、ユダヤ人の民族外結婚を禁じる等した国の整備とユダヤ教の形式が固められ、これによりユダヤ民族の独自性が今日まで保たれることになりました。その後、ギリシャの支配下となったり、シリアと争ったりしたが、ローマの台頭によりその支配下に入り、ユダヤ属州となりました。

 当時のローマ帝国は、属州民族の文化を尊重してその地域をある程度自由にする政策を取っていました。しかし、多神教文化の地中海世界の中で、一神教を信じるユダヤは特殊な地域でありました。そのため支配されていたユダヤ人の反ローマ感情は日増しに高まっていました。そんな状況の中、カイサリアでユダヤ人虐殺が起きたのであります。これが引き金となって、エルサレムで過激派による暴動が起こります。ユダヤ属州総督フロルスは、暴動の首謀者の処刑によって事態を収拾しようとしましたが、逆に反ローマの機運を全土に飛び火させることになりました。シリア属州の総督が軍団を率いて鎮圧に向かうも、反乱軍の前に敗れてしまいます。これが最初のユダヤ軍の勝利となるのですが、最後の勝利でもありました。

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