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2009年7月 4日 (土)

60年

 西暦60年、現在のイギリス、当時のローマ帝国の属州ブリタニアでブーディカの乱が起こりました。ブーディカはイケニ族の女王であります。

 イケニ族はイングランド南東部ノーフォークに住んでいたケルト人の部族であります。西暦43年のクラウディウスによるブルタニア遠征時に、自発的にローマ帝国と同盟を結び征服を免れました。しかし、西暦47年からブルタニア担当となったローマ長官のプーブリウス・オストリオス・スカプラが武装解除要求を出したので、イケニ族は反乱を起こしました。この反乱は失敗するのですが、その後もイケニ族の独立は許可されました。

 当時のイケニ族はプラスタグス王によって治められていました。プラスタグス王は何とか征服されずにローマ帝国と同盟関係が結ぶことができ、部族の独立を維持しました。王はこれを確固たるものにするため、ローマ皇帝を王の二人の娘との共同統治者に仕立てました。ところがプラスタグス王が崩御すると、ローマは彼の意思を無視し土地や財産を簒奪し始めました。未亡人のブーディカは鞭打たれ、共同統治者だった二人の娘は陵辱されました。これらの仕打ちに対し、ブーティカはイケニ族の女王としてローマへ反旗を翻したのであります。

 ブーティカはイケニ族と同じケルト人部族のトリノヴァンテス族らを率い、トリノヴァンテスの故地カムロドゥヌム(現コルチェスター)をまずは奪回します。次に各地のローマ帝国植民地を次々に攻略して行きました。更にクィントゥス・ペティリウス・ケリアリスが率いたローマ軍第9軍団ヒスパナを打ち負かし、ロンディニウム(現ロンドン)を破壊しました。そしてウェルラミウム(現セント・オールバンズ)に攻め入り、数万人もの人々を殺戮したのであります。ブーティカ軍は敵を捕虜にすることなくことごと惨殺したのであります。この時点では、ネロは軍の撤退を決断したほどでした。しかし、アウグストゥスが紀元前41年に設立した名門第14軍団ゲミナを率いたスエトニウスは戦略を練ったワトリング街道でブーティカ軍を壊滅させます。この戦いでブーティカも亡くなり、プラスタグスの血筋は絶えてしまいました。これ以降、ローマはブルタニアで圧倒的な勢力を誇ることになります。

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