63年
西暦63年、58年から続いていたローマとパルティアの戦争が終了し、アルメニアに和平の世が訪れました。アルメニアのアルケサス朝が確立したのです。
西暦54年、ヴォロガセス1世はアルメニアの不満分子を扇動してイベリアの王子だったラダミストゥス王を追い出し、まんまと弟のティリダテス1世をアルメニア王とすることに成功したのであります。ラダミストゥスは自分が殺した前の王ミトリダテスの娘ゼノビアを妻としていましたが、その身重の妻を連れて逃亡しました。ゼノビアは長時間馬に乗れない身体でしたので、いつ捕まるかわかりません。そこで敵の手に落ちるなら殺して欲しいとラダミストゥスに懇願します。ゼノビアはアラス川の川岸に置き去りにされますがが、羊飼い達に助けられました。ゼノビアはティリダテス1世の元へ連れて行かれ、王族たるアルメニア王の娘として手厚くもてなされました。一方、イベリアに逃げ帰ったラダミストゥスは、父親たるイベリア王ファラスメナス1世に企てた陰謀が失敗し処刑されたのであります。
西暦55年、アルメニアへの干渉に成功したヴォロガセス1世は、逆にパルティア国内で息子ヴァルダネス2世に反乱を起こされます。また、西暦40年から始まったヴァルダネス1世の統治から対立していた王国アディアバネの王イサデス2世と開戦しました。その上、パルティア東方ではサカ人の侵入を受けます。これに追い打ちをかけて、ヒルカニアでも反乱が発生しました。ヴォロガセス1世は果敢にもパルティア国内各地を転戦し、局地戦に対応していきました。西暦58年、パルティアがアルメニアに目が届かなくなった隙に、ローマ軍はアルメニアに侵攻し首都アルタクサタは占領します。これに驚いたティリダテス1世は、パルティアに逃げ帰ってしまいました。ローマ帝国はカッパドキア人ティグラネス6世をアルメニア王に擁立しました。
西暦63年、ネロの命令によりこの戦いを指揮したグナエウス・ドミティウス・コルブロは、大軍を率いてパルティアに侵攻しました。これに対してパルティアは戦いを選択せず、和平交渉に出ました。この結果、ティリダテス1世が再びアルメニア王に復帰するのですが、それはローマで皇帝ネロから戴冠をもらうという、ローマ帝国がアルメニアとパルティアを属国ともいえる立場に扱う内容でした。しかし、ティリダテスは大歓迎を受けてローマ入りし、これ以後親ローマ政策を取りました。このため、アルメニア、パルティア、ローマ間は西暦113年のトラヤヌスによるパルティア侵攻まで平和が保たれたのであります。
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