69年
西暦69年、ネロのいないローマは混乱し内戦状態になりました。何と1年間に皇帝が4人も入れ替わるという異常事態です。この年は「四皇帝の年」と呼ばれています。
ネロの後を継いだガルバは失策を重ねました。ヒスパニアのタラコネンシス属州総督としては人気があったのですが、ローマから帰還するとき、ガルバを支持しなかった地域に重い罰金を課して行きました。これで地域住民の支持を失います。ローマへ帰ってからもネロの改革を無効とし、指導部の支持を失います。そして、西暦69年1月1日、報奨が少ないことに端を発したゲルマニアで低地ゲルマニア総督アウルス・ウィテリウスを皇帝に推す反乱が起きました。ガルバは人格者のピソ(ピソの陰謀のピソとは別人)を養子にし後継者と発表しましたが情勢は変わらず、逆にオトを落胆させてしまいました。オトは今まで、ガルバの後継者は自分と信じて彼を支持して来たのです。オトはこの発表の5日後にガルバとピソを暗殺して皇帝に即位したのでありました。
1月15日に皇帝に即位したマルクス・サルウィウス・オトは、ネロに妻を譲ったオトであります。36歳と若く、ルシタニア総督時代の善政で名声もあり人気がありました。しかしゲルマニアのウィテリウス軍は既に蜂起しており、ローマへの行軍を続けていました。オト軍を構成し対戦したのですが、緒戦で敗北します。まだ兵力に余裕があり挽回の可能性があったのですが、敗戦の報を聞いたオトはあっさりと自殺してしまいました。4月15日、わずか3ヶ月間の皇帝在位でありました。しかし、多くの犠牲を避けるため素早く自死したオトに、ローマ市民は共感しました。歴史家コルネリウス・タキトゥスは、オトの死に様はカエサルよりも偉大だと著しています。
ローマに大軍団を率いて入城したウィテリウスに誰も抵抗できません。元老院は即座にウィルテリウスを皇帝と認めました。しかし、元々ウィルテリウスは皇帝に担ぎ出されただけで、皇帝になった後の政策は一切考えていませんでした。ウィルテリウスが制定した法律は一切なく、記録として残ったのは膨大な食費だけでした。また、ゲルマニア兵の素行が悪く、市内の治安が悪化しました。そして市民がウゥルテリウスに不信感を持ったのが、オト軍の処刑でした。軍人も市民なのに、命令に従っただけの軍人を処刑するとは何事かということなのです。そんな混乱の状況を見て、ユダヤ戦争を指揮していた将軍ウェスパシアヌスが皇帝に名乗りを上げます。各地でウェスパシアヌスを支持し、各地で反乱が起きます。アントニウス・プリムスの軍団がローマに入城しウィテリウス軍に勝って彼を殺害しました。ガイウス・リキニウス・ムキアヌスが遅れて到着し、ローマの混乱を治めます。そして最後にウェスパシアヌスが皇帝としてローマ入りしました。ウィテリウスが殺害された12月20日の翌日に、元老院はウェスパシアヌスを皇帝として認めていたのでありました。
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