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2009年10月 5日 (月)

153年

 西暦153年、ローマ帝国の属州アエギュプトゥスで小規模な反乱が勃発しました。アエギュプトゥスとはエジプトの当時の地名です。今宵は古代エジプトの歴史を勉強しましょう。

 紀元前450年頃、ギリシャの歴史家で最初の歴史書を著したヘロドトスの言葉に、エジプトはナイルの賜物とあります。エジプトには昔から砂漠が広がり、一本しかないナイル河流域だけが居住の場でした。紀元前3万年頃から西アジアから人が移住するようになり、紀元前1万年には定住が始まりました。ナイル河上流は谷合地域で、下流はデルタ地帯が広がっています。最初に上流に上エジプトが、下流に下エジプトが発生します。紀元前3500年頃、上下エジプトが統一されエジプト王朝が始まります。二つのエジプトの統一はメソポタミアに対抗するためだったかも知れません。

 ナイル河は毎年氾濫を繰り返し、肥沃な土が上流から下流のデルタに流れたことがエジプトに繁栄をもたらせました。しかし氾濫には備えが必要です。ナイル河の氾濫を正確に予測するため、天文観測が行われ太陽暦が作られました。太陽とシリウス星が同時に昇る頃にナイル河は氾濫したのです。更に、氾濫後に農地を元通り区画整備するため、測量学と幾何学が発達しました。エジプトは地理的に孤立していたため、古代エジプトは安定していました。

 紀元前945年頃から、周辺地域から侵入が始まります。紀元前730年頃にはクシュ、紀元前671年にはアッシリア、紀元前525年にはペルシャに征服支配され、紀元前332年にはマケドニア王のアレクサンドロスに征服されます。そして紀元前305年、アレクサンドロスが崩御しマケドニアの将軍がプトレマイオス1世として即位しプトレマイオス朝を開始します。これがエジプト最後の王朝となるのであります。紀元前30年、クレオパトラ7世の有名な自殺により、エジプトはローマの属州になりました。なお、プトレマイオス朝はギリシャ系ですので、以前にも述べたようにクレオパトラは白人だったはずです。

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