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2010年1月19日 (火)

259年

 西暦259年、ローマ皇帝ウァレリアヌスはペルシャに侵攻しました。ところが、エデッサ(現トルコ、シャンルウルファ)で破れ、ペルシャ軍に捕らわれたのであります。

 西暦253年、皇帝となったウァレリアヌスは、息子のガッリエヌスを共同皇帝としました。そして、息子にはローマ帝国に西半分を任せ、ウァレリアヌスは対ペルシャ戦略が必要な東半分を受け持ったのです。

 ペルシャは依然としてシリアに侵入を繰り返していました。これに対抗するため、ウァレリアヌスはアンティオキアを拠点とし東方属州の兵と共に連年に渡って抗戦していました。また、エメサで帝位を僭称するウラニウスの反乱も起こりこれを鎮圧しました。

 西暦259年、エデッサの戦いで、ウァレリアヌスはシャープール1世率いるペルシア軍に敗れたのであります。和睦交渉の席上でペルシアの捕虜となり、多くの元老院議員を含む兵士と共にペルシアに連れ去られてしまいました。ウァレリアヌスはローマに帰ることなく現地で崩御します。ペルシアで捕虜となったウァレリアヌスは、シャープール1世騎乗時の踏み台にされたとも言われます。ローマ皇帝33代目にして、初めて敵の捕虜になってしまったのです。このニュースがローマ帝国内に飛び交い、ローマ帝国は危機を迎えるのであります。

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