275年
西暦275年、第37代ローマ皇帝アウレリアヌスは暗殺され崩御しました。次代はマルクス・クラウディウス・タキトゥスが継ぎます。
軍団兵から軍人キャリアを重ね昇進して来たアウレリアヌスは、ウァレリアヌス帝に抜擢されて頭角を現しました。ガッリエヌス帝時代も活躍し、皇帝クラウディウス2世の下では騎兵の総司令官を勤めるまでになりました。そして、軍により皇帝に担ぎ出され、クィンティッルス帝を破りローマ皇帝となりました。
アウレリアヌス帝は即位すると、まず、イタリアに攻め込んでいたヴァンダル族、サルマタエ族、ユトゥンギ族、マルコマンニ族等の北方蛮族を撃退したことであります。撃退後はアウレリアヌスの長城の建築を命じました。さらに、ドナウ北岸に進軍しゴート族に打撃を与えたものの、属州ダキアの維持は困難と判断し領有を放棄しました。そして、最大の成果が、東のパルミラ王国、西のガリア帝国と3分割されていたローマを15年ぶりに統一し、世界の修復者と称されたことであります。
世界を統一したアウレリアヌス帝は、次の目標のペルシャ討伐に向かいます。遠征途中のペリントスまで軍を進めたとき、秘書官のエロスを叱責しました。処刑を恐れたエロスは陰謀を仕組み、将軍ムカポルに暗殺させたのであります。後にエロスの陰謀は露見し処刑されています。アウレリアヌス帝の暗殺は帝国に大きな衝撃を与え、タキトゥスが即位するまで数ヶ月の皇帝不在の期間が生じました。アウレリアヌス帝は、自他共に非常に厳しい性格でありました。その厳しい軍律のため命を落としたのであります。しかし、ローマに反旗を翻したゼノビアやテトリクスは処刑せず優雅に放置させた寛大な面も持ち合わせていました。身内には厳しくても世間には評価されるトップと、身内に評判は良いのですが世間に評価されないのではどちらが良いのでしょうか。
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