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2021年2月28日 (日)

108つの煩悩(59)

 108つの煩悩の五十九番目は、

色界道締見取見(しきかいどうたいけんしゅけん)

である。色界と道締と見取見が組み合わさってできた言葉である。三十一番目の煩悩の道締見取見に色界を冠し、色界での道締見取見を注意している。

 色界道締見取見とは、欲界での欲望を克服した色界でも、間違った考えを優れていると考えることを辞めれば苦しみが終わることがわかっていながら、それを辞めずに苦しむという意味である。意固地になっていれば苦しみは無くならない。

 

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2021年2月27日 (土)

108つの煩悩(58)

 108つの煩悩の五十八番目は、

色界道締邪見(しきかいどうたいじゃけん)

である。色界と道締と邪見でできた言葉である。三十番目の煩悩の道締邪見に色界を付して、色界での道締邪見を現わしている。

 色界道締邪見とは、欲界を絶った色界でも、間違った考え方を辞めれば苦しみも無くなるのに辞めようとせず苦しむということである。妙な考えに固執するのも煩悩なのである。

 

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2021年2月26日 (金)

108つの煩悩(57)

 108つの煩悩の五十七番目は、

色界道締疑( しきかいどうたいぎ)

である。色界と道締と疑が合わさってできた言葉である。二十九番目の煩悩の道締疑の色界版で、色界での道締疑を注意している。

 色界道締疑とは、淫欲や食欲を絶った色界でも、真理を疑うことを辞めれば苦しみが無くなるのがわかっていながら、それをやらずに苦しむという意味である。欲望を克服しても、真理を疑えば救われない。

 

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2021年2月25日 (木)

108つの煩悩(56)

 108つの煩悩の五十六番目は、

色界道締慢(しきかいどうたいまん)

である。色界と道締と慢の合成語である。二十八番目の煩悩の道締慢に色界を付け、色界での道締慢を嘆いている。

 色界道締慢とは、色界においても、おごりを無くす道があるのにおごったままでいて苦しむという意味である。欲界の欲望を克服してもなお、おごるのが人間の煩悩である。

 

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2021年2月24日 (水)

108つの煩悩(55)

 108つの煩悩の五十五番目は、

色界道締癡(しきかいどうたいち)

である。色界と道締と癡が組み合わさってできた言葉である。二十七番目の煩悩の道締癡に色界を付して、色界での道締癡を表現している。

 色界道締癡とは、欲界を絶って行った色界でも、無知を無くす道があるのに勉強せず苦しむという意味になる。わかっていても実践しなければ苦しみはなくならない。

 

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2021年2月23日 (火)

108つの煩悩(54)

 108つの煩悩の五十四番目は、

色界道締貪(しきかいどうたいとん)

である。色界と道締と貪でできた言葉である。二十五番目の煩悩の道締貪に色界を冠して、色界での道締貪を現わしている。

 色界道締貪とは、色界において必要以上の欲望を消すための道があるのがわかっていてもその道に行けない苦しみという意味である。わかっていればやれば良いのに、それができないのも人の煩悩である。

 

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2021年2月22日 (月)

108つの煩悩(53)

 108つの煩悩の五十三番目は、

色界滅締見取見(しきかいめったいけんしゅけん)

である。色界と滅締と見取見の合成語である。二十四番目の煩悩の滅締見取見の色界版で、色界における滅締見取見を訴えている。

 色界滅締見取見とは、欲界を絶って色界に行ったとしても、間違った考え方を優れていると思うことを辞めれば苦しみが無くなるのがわかっていながらそれが辞められず苦しむという意味である。因果応報を知らなければ救われないのである。

 

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2021年2月21日 (日)

108つの煩悩(52)

 108つの煩悩の五十二番目は、

色界滅締邪見(しきかいめったいじゃけん)

である。色界と滅締と邪見でできた言葉である。二十三番目の煩悩の滅締邪見に色界を冠して、色界での滅締邪見を警告している。

 色界滅締邪見とは、淫欲や食欲を絶った色界でも、間違った考え方を辞めれば苦しみが消滅するのがわかっても、間違った考え方を辞められない苦しみということである。自分の考え方がおかしいと思っても、そのままにしていれば救われないのである。

 

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2021年2月20日 (土)

108つの煩悩(51)

 108つの煩悩の五十一番目は、

色界滅締疑(しきかいめったいぎ)

である。色界と滅締と疑が組み合わさった言葉である。二十二番目の煩悩の滅締疑に色界を付して、色界での滅締疑を現わしている。

 色界滅締疑とは、欲界を克服した色界でも、真理を疑うことを辞めれば苦しみが消滅するのにそれができず疑を辞められない苦しみという意味である。欲望を絶っても信じなければ救われないのである。

 

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2021年2月19日 (金)

108つの煩悩(50)

 108つの煩悩の五十番目は、

色界滅締慢(しきかいめったいまん)

である。色界と滅締と慢が合わさってできた言葉である。二十一番目の煩悩の滅締慢に色界を付け、色界での滅締慢を憂いている。

 色界滅締慢とは、欲界での欲望を絶って色界に行ったとしても、傲慢さが無くなれば苦しみがなくのるのがわかっていながら傲慢を無くせない苦しみという意味である。欲望を絶てば謙虚にならなければならない。

 

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2021年2月18日 (木)

108つの煩悩(49)

 108つの煩悩の四十九番目は、

色界滅締癡(しきかいめったいち)

である。色界と滅締と癡の合成語である。二十番目の煩悩の滅締癡の色界版で、色界での滅締癡を訴えている。

 色界滅締癡とは、淫欲や食欲を絶った色界でも、無知が無くなれば苦しみがなくなるのに無知を解消できない苦しみという意味である。欲望を絶った上で勉強しなければ苦しみはなくならないのである。

 

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2021年2月17日 (水)

108つの煩悩(48)

 108つの煩悩の四十八番目は、

色界滅締貪(しきかいめったいとん)

である。色界と滅締と貪が組み合わさった言葉である。十八番目の煩悩の滅締貪に色界を冠して、色界での色界滅締貪を現わしている。

 色界滅締貪とは、欲界を超えた色界でも、必要以上の欲望が消滅すれば苦しみがなくなるのがわかっていてもやめられない苦しみという意味である。色界でも貪欲な欲望は抑えられない。

 

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2021年2月16日 (火)

108つの煩悩(47)

 108つの煩悩の四十七番目は、

色界集締見取見(しきかいじったいけんしゅけん)

である。色界と集締と見取見が合わさった合成語である。十七番目の煩悩の集締見取見の色界版で、色界での集締見取見を警告している。

 色界集締見取見とは、色界でも間違った考え方を誤って勝れた考え方と思うことが苦しみの原因という意味になる。欲界の欲望は絶っても、間違った考え方を信じれば苦しみは続くのである。

 

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2021年2月15日 (月)

108つの煩悩(46)

 108つの煩悩の四十六番目は、

色界集締邪見(しきかいじったいじゃけん)

である。色界と集締と邪見組み合わさってできた言葉である。十六番目の煩悩の集締邪見に色界を付けて、色界での集締邪見を訴えている。

 色界集締邪見とは、欲界を克服した色界でも、間違った考えが苦しみの原因ということである。たとえ淫欲や食欲を絶ったとしても、間違った考え方をしていては救われないということである。

 

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2021年2月14日 (日)

108つの煩悩(45)

 108つの煩悩の四十五番目は、

色界集締疑(しきかいじったいぎ)

である。色界と集締と疑でできた言葉である。十五番目の煩悩の集締疑に色界を冠して、色界での集締疑を現わしている。

 色界集締疑とは、淫欲と食欲を克服した色界でも、真実を疑うことが苦しみの原因という意味になる。欲界の欲望を克服しても、真実を信じなければ苦しみは解消されないのである。

 

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2021年2月13日 (土)

108つの煩悩(44)

 108つの煩悩の四十四番目は、

色界集締慢(しきかいじったいまん )

である。色界と集締と慢が合わさってできた言葉である。十四番目の煩悩の集締慢に色界を付して、色界での集締慢を警告している。

 色界集締慢とは、色界においても、おごりが苦しみの原因という意味になる。欲界から次のステージに行っても、人間は他人との優劣を付けたがることを戒めている。

 

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2021年2月12日 (金)

108つの煩悩(43)

 108つの煩悩の四十三番目は、

色界集締癡(しきかいじったいち)

である。色界と集締と癡が組み合わさった言葉である。十三番目の煩悩の集締癡の色界版で、色界での集締癡を現わしている。

 色界集締癡とは、欲界を絶って行った色界で、無知に苦しむという意味である。淫欲と食欲を克服しても、無知では苦しむのである。

 

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2021年2月11日 (木)

108つの煩悩(42)

 108つの煩悩の四十二番目は、

色界集締貪(しきかいじったいとん)

である。色界と集締と貪の合成語である。十一番目の煩悩の集締貪に色界を冠して、色界での集締貪を訴えている。

 色界集締貪とは、淫欲と食欲を絶った色界でも苦しいのは、必要以上に求めるからという意味になる。苦しみの最初の原因は、必要以上の欲望である。

 

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2021年2月10日 (水)

108つの煩悩(41)

 108つの煩悩の四十一番目は、

色界苦締戒禁取見(しきかいくたいかいごんしゅけん)

である。色界と苦締と戒禁取見が合わさってできた言葉である。十番目の煩悩の苦締戒禁取見の色界版である。

 色界苦締戒禁取見とは、色界において誤った教えで悟りを開こうとして苦しむということである。欲界を絶って色界に行っているため、誤りに気付かず苦しみ続けるのかも知れない。

 

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2021年2月 9日 (火)

108つの煩悩(40)

 108つの煩悩の四十番目は、

色界苦締見取見(しきかいくたいけんしゅけん)

である。色界と苦締と見取見の合成語である。九つ目の煩悩の苦締見取見に色界を付して、色界での苦締見取見を示している。

 色界苦締見取見とは、淫欲と食欲を絶った色界でも間違った考え方を優れていると思い苦しむという意味である。色界での見取見は、欲界で間違った考え方を優れていると思うより根が深いかも知れない。

 

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2021年2月 8日 (月)

108つの煩悩(39)

 108つの煩悩の三十九番目は、

色界苦締邪見(しきかいくたいじゃけん)

である。色界と苦締と邪見が組み合わさってできた言葉である。八つ目の煩悩の苦締邪見に色界が付いて、色界における苦締邪見を戒めている。

 色界苦締邪見とは、色界においても間違った考え方のために苦しむという意味である。仏教で間違った考え方というのは、因果応報を知らないということである。全ての悩みには原因があるのである。

 

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2021年2月 7日 (日)

108つの煩悩(38)

 108つの煩悩の三十八番目は、

色界苦締辺執見(しきかいくたいへんじっけん)

である。色界と苦締と辺執見でできた言葉である。七つ目の煩悩の苦締辺執見に色界を付けて、色界にも苦締辺執見があることを伝えている。

 色界苦締辺執見とは、淫欲と食欲を絶った世界で極端に片寄った考え方に苦しむという意味である。死して無と帰すか、魂は永久不滅のどちらかと考えてるのは煩悩なのである。

 

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2021年2月 6日 (土)

108つの煩悩(37)

 108つの煩悩の三十七番目は、

色界苦締有身見(しきかいくたいうしんけん)

である。色界と苦締と有身見の合成語である。六つ目の煩悩の苦締有身見に色界を付して、色界での苦締有身見を訴えている。

 色界苦締有身見とは、欲望を絶った世界でも所有に捉われて苦しむということである。有身見に拘るのは色界であるからだろうか。

 

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2021年2月 5日 (金)

108つの煩悩(36)

 108つの煩悩の三十六番目は、

色界苦締疑(しきかいくたいぎ)

である。色界と苦締と疑が合わさった言葉である。五つ目の煩悩の苦締疑に色界が合わさって、色界での苦締疑ということになる。

 よって、色界苦締疑とは、淫欲や食欲を克服した世界でも正しいことを信じられる苦しむという意味である。欲望を絶っても信じなければ救われないのである。

 

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2021年2月 4日 (木)

108つの煩悩(35)

 108つの煩悩の三十五番目は、

色界苦締慢(しきかいくたいまん)

である。色界と苦締と慢でできた言葉である。四つ目の煩悩の苦締慢に色界が組み合わさり、色界での苦締慢になる。

 色界苦締慢とは、色界でも他人より優れていると奢ることがあることを警告している。欲界を脱してもなお優越感を持ちたいのが人間の煩悩である。

 

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2021年2月 3日 (水)

108つの煩悩(34)

 108つの煩悩の三十四番目は、

色界苦締癡(しきかいつたいち)

である。色界と苦締と癡が組み合わさってできた言葉である。三つ目の煩悩の苦締癡に色界が付き、色界での苦締癡ということになる。

 色界苦締癡は、色界でも知らない無知で苦しむことがあることを示している。あることを克服して新しいレベルに進化したとしても、知らないことは沢山ある。

 

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2021年2月 2日 (火)

108つの煩悩(33)

 108つの煩悩の三十三番目は、

色界苦締貪(しきかいくたいとん)

である。色界と苦締と貪の合成語である。一つ目の煩悩の苦締貪に色界を冠しているので、色界での苦締貪ということがわかる。それでは、色界とはどんな世界だろうか。

 仏教では、世界を欲界、色界、無色界の三つに分け、三界と呼んでいる。欲界とはわれわれが住む欲望の世界である。欲界から一つ上に色界があり、そこは淫欲と食欲を克服した者が住む世界である。ここでいう「色」とは、物質という意味で、身体はあるが欲望はない者という意味である。そして、無色界は色界の上にあり、無色というように物質から解放され精神だけの者が住む世界である。

 色界苦締貪とは、色界での苦締貪という煩悩である。つまり、淫欲や食欲は無くなってもやはり必要以上に求める苦しみがあるということだ。

 

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2021年2月 1日 (月)

108つの煩悩(32)

 108つの煩悩の三十二番目は、

道締戒禁取見(どうたいかいごんしゅけん)

である。道締と戒禁取見が合成された言葉である。十番目の煩悩と同じく戒禁取見に関わる煩悩である。道締が苦しみを無くすための道であるから、道締戒禁取見とは、誤った教えで悟りを開くのを辞めて正しい教えを実践しなければならないのに、誤った教えを辞めようとせず苦しむことである。

 ここまでの煩悩は、五毒と五悪見に苦締、集締、滅締、道締が組み合わさっている。この苦締、集締、滅締、道締のことを四締(したい)といい、仏教が説く四つの基本的真理である。苦諦と集諦は、煩悩の世界の果と因を現し、滅諦と道諦は、悟りの世界の果と因を現す。

 

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