2009年5月 4日 (月)

無信不立

 無信不立(むしんふりつ)は、信(しん)無(な)くんば立たず、と読む。信義の心がなければ、社会生活が送れないという意味だ。

 出典は論語の顔淵である。顔淵の正式名は顔回(がんかい)で、字(あざな)が子淵(しえん)なので顔淵とも言われた。

 子貢問政。子曰、足食、足兵、民信之矣。子貢曰、必不得已而去、於斯三者何先。曰、去兵。子貢曰、必不得已而去、於斯二者何先。曰、去食。自古皆有死。民無信不立。子貢(しこう)政(まつりごと)を問ふ。子曰く、食を足し、兵を足し、民は之を信にす、と。子貢曰く、必ず已(や)むを得ずして去らば、斯(こ)の三者に於いて何をか先にせん、と。曰く、兵を去らん、と。子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於いて何をか先にせん、と。曰く、食を去らん。古(いにしへ)より皆死有り。民信無くんば立たず、と。

 政治に必要なことは食料と軍備と信義の三つで、一つ取るとすれば食料よりも信義であると孔子は教えていた。2500年前から、社会を形成するものは信義とされていたのだ。

※2008年12月31日から125の四字熟語を紹介させてもらいましたが、本日を以て終了したいと思います。明日からは趣向を変えた連載を始めたいと思います。

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2009年5月 3日 (日)

遠慮近憂

 遠慮近憂(えんりょきんゆう)とは、遠慮なければ近憂あり、ということだ。すなわち、遠い将来のことまで見通した深い考えをもたないでいると、必ず手近なところに身にさし迫った心配事が起こるということである。

 出典は論語の衛霊公(えいれいこう)だ。霊公は衛の名だたる悪玉として有名で、孔子は好戦的な霊公には仕えないと意思表示していた。

 子曰、人無遠慮、必有近憂。子曰く、人遠き慮(おもんばか)り無ければ、必ず近き憂ひ有り、と。

 今やっていることが良くても、その行為が未来に及ぼすことを考えて良いかどうか。今やっていないことが良くても、未来にやっていないツケが回って来ないかどうか。人は慮ることができるはずだ。

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2009年5月 2日 (土)

発憤忘食

 発憤忘食(はっぷんぼうしょく)は、憤(いきどお)りを発しては食を忘る、と読む。食事を忘れて仕事などに打ち込むことだ。

 出典は論語の述而(じゅつじ)である。論語は出だしの「子曰」の次の二語をタイトルに使うのだが、第七は「子曰、述而不作」と始まるので、述而とうタイトルになった。

 葉公問孔子於子路。子路不対。子曰、女奚不曰、其為人也、発憤忘食、楽以忘憂、不知老之将至云爾。葉公(しょうこう)孔子を子路(しろ)に問ふ。子路対(こた)へず。子曰はく、女(なんじ)奚(なん)ぞ曰はざる、其の人と為りや、憤(いきどお)発しては食を忘れ、楽しみては以(もっ)て憂(うれ)ひを忘れ、老いの将(まさ)に至らんとするを知らずと爾(しか)云ふ、と。

 葉公は葉県(しょうけん)の県知事で、子路は孔子十哲の一人である。発憤忘食の後の、楽しみをもって憂ひを忘れたり、年老いて行くことすらも忘れてしまうというのも大いに参考になる言葉だ。

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2009年5月 1日 (金)

文質彬彬

 文質彬彬(ぶんしつひんぴん)とは、外見の美と実質とが適度にまじって調和しているさまをいう。君子たる条件である。

 出典は論語の雍也(ようや)だ。雍也は孔門十哲の一人、冉雍(ぜんよう)のことで、徳行に優れていたという。

 子曰、質勝文則野。文勝質則史。文質彬彬、自然後君子。子曰く、質文に勝てば則ち野なり。文質に勝てば則ち史なり。文質彬彬として、然る後に君子なり、と。

 内容が外面より勝ると、いなかじみて品がなくなってしまう。文飾のほうが実質より勝ると、書記役の様に誠実さに欠けたものになってしまう。内容である実質と外面である文飾とがほどよく調和がとれて、はじめて君子といえるのである。

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2009年4月30日 (木)

克己復礼

 克己復礼(こっきふくれい)は、己(おのれ)に克(か)ちて礼に復す、と読む。私情や私欲に打ち勝って、社会の規範や礼儀にかなった行いをすることだ。

 出典は論語の顔淵(がんえん)である。顔淵は孔子の弟子の中で最も優れた十人をさす孔門十哲(こうもんじってつ)の一人だ。

 子曰、克己復礼為仁。子曰く、己に克ちて礼に復るを仁と為す、と。これは顔淵が仁について問われたときの孔子の答えである。

 また、孔子は礼について雍也(ようや)で、博文約礼(はくぶんやくれい)と言っている。すなわち、君子はできるだけ広く書物を学び、これを礼によってしめくくって行動するようにすれば正しい道からはずれることはないということだ。

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2009年4月29日 (水)

下学上達

 下学上達(かがくじょうたつ)は、。下学して上達す、と読む。手近なところから学び始めて、次第に進歩向上してゆくこと。

 出典は論語の憲問(けんもん)だ。憲とは原憲(げんけん)のことで、孔子の弟子、七十子(しちじっし)の一人である。

 子曰、不怨天、不尤人、下学而上達。知我者其天乎。子曰く、天を怨(うら)みず人を尤(とが)めず、下学して上達す。我を知る者は其(そ)れ天なるか、と。

 いきなり難しいことを勉強するのではなく、身近なことからコツコツ学べば良いということだ。そしてそこから高度なことを学んで行けばやがて天にも手が届くのかも知れない。

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2009年4月28日 (火)

訥言敏行

 訥言敏行(とつげんびんこう)は、言(げん)に訥(とつ)にして行(おこな)いに敏(びん)なり、と読む。徳のある人は口数が少なく行動に敏速であるという意味だ。

 出典は論語である。そろそろ四字熟語のネタが尽きて来たので、最後の一週間は論語に登場する四字熟語で締めようかと思う。

 論語の里仁(りじん)に、「子曰、君子欲訥於言而敏於行。」とある。子曰く、君子は言に訥にして、行いに敏ならんと欲す、と。

 論語では、剛毅木訥(ごうきぼくとつ)が仁にちかいとも言っている。剛毅木訥は意志が強く口数が少ないという意味である。2500年前は浮ついた言葉よりも実行や態度を重要視していたのだ。

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2009年4月27日 (月)

天地玄黄

 天地玄黄(てんちげんこう)とは、天は黒色で地は黄色であるということだ。玄は黒色という意味だが、玄の表す黒というのは赤や黄も含まれた黒であり、玄には奥深いという意味もあって、天を玄としたのではないだろうか。

 出典は易経(えききょう)の坤(こん)なのだが、むしろ千字文の第一句として有名。千字文は中国南朝時代、梁武帝の命により文官の周興嗣(しゅうこうし)が考えた、四字熟語が二百五十区で一字も重複がない千字の長詩である。

 周興嗣は千字文を一夜で考案し、皇帝に献上したときには白髪になっていたという伝説がある。その後、各種千字文が創作されたが、周興嗣の千字文が最も普及し多くの国で漢字読本となっている。

 千字文は、「天地玄黄。宇宙洪荒。」で始まり、「謂語助者。焉哉乎也。」で締めくくられている。天地は玄黄、宇宙は洪荒なりで始まり、語助と謂う者は、焉(えん)、哉(さい)、乎(こ)、也(や)なりで終わっているということだ。

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2009年4月26日 (日)

漱石枕流

 漱石枕流(そうせきちんりゅう)とは、夏目漱石の由来となった故事だ。石に漱(くちすす)ぎ流れに枕すると読む。

 出典は晋書(しんじょ)の孫楚伝(そんそでん)である。孫楚は中国魏から西晋時代の政治家であり武将だ。

  孫楚が隠居しようと友人の王済(おうさい)に、これから石を枕し流れに漱ぐ人生を送るというべきところを、石に嗽ぎ流れに枕すると言ってしまった。王済に間違いを突っ込まれると、流れを枕するのは汚れた俗事から耳を洗うため、石に漱ぐのは汚れた歯を磨くからと返した。

 王済はこの切り返しをさすがと思ったので、感心することを「流石」というのはこの故事が元になったという説もある。しかし、漱石枕流自体は負け惜しみのたとえとして使われている。

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2009年4月25日 (土)

咳唾成珠

 咳唾成珠(がいだせいじゅ)は、咳唾(がいだ)珠(たま)を成す、と読む。意味は二通りあり、ちょっと口から出る言葉も玉のように美しいというものと、権力者の言葉は一言一句が珠玉のように尊ばれるばかりでなく、咳や唾まで畏れ敬われるというものである。

 初めの意味の出典は晋書(しんじょ)の夏侯湛伝(かこうたんでん)だ。夏侯湛は中国西晋時代の政治家であり文学者である。父の夏侯荘は、三国志の曹操に仕えた元勲夏侯淵の四男夏侯威の子で、母は司馬師の妻、羊徽瑜の姉妹だ。

 咳唾成珠、揮袂出風雲。咳唾、珠を成し、袂(たもと)を揮(ふる)えば風雲(ふううん)を出(いだ)す。

 二番目の意味の出典は李白の詩「妾薄命」である。咳唾落九天、随風生珠玉。咳唾九天より落ち、風に随(したが)ひて珠玉を生ず。

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