2021年4月18日 (日)

108つの煩悩(108)

 108つの煩悩の最後、百八番目は、

十纏覆(じってんふく)

である。十纏と覆が組み合わさってできた合成語である。十の煩悩の十番目の覆を意味している。

 覆とは、自己が犯した罪を隠すことである。罪を犯すことではなく、犯した罪を隠すことが煩悩なのである。人は常に罪を犯し、その罪を隠すためさらに苦しむのである。

 108つの煩悩を一から視ることにより、人を自分を見つめ直すことができたと思う。人は、生まれながらにして、貪、瞋、癡、慢、疑、有身見、辺執見、邪見、見取見、戒禁取見の煩悩、見方を変えれば、慚、無愧、嫉、慳、悔、眠、掉挙、惘沈、忿、覆の煩悩に、欲界、色界、無色界で苦しむ。これら108の煩悩を克服することが仏教の修業である。

 

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2021年4月17日 (土)

108つの煩悩(107)

 108つの煩悩の百七番目は、

十纏忿(じってんふん)

である。十纏と忿の合成語である。十の煩悩の九つ目の忿を表現している。

 忿とは、激怒することである。激怒して暴力や粗暴な言葉遣いになる最後の10の煩悩である。

 

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2021年4月16日 (金)

108つの煩悩(106)

 108つの煩悩の百六番目は、

十纏惘沈(じってんこんじん)

である。十纏と惘沈が組み合わさってできた言葉である。十の煩悩の八つ目の惘沈を現わしている。

 惘沈とは、百五番目の掉挙と逆の状態である。すなわち、滅入ってしまってふさぎ込んだ状態のことで、この状態もとても修行することができない煩悩なのである。

 

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2021年4月15日 (木)

108つの煩悩(105)

 108つの煩悩の百五番目は、

十纏掉挙(じってんじょうこ)

である。十纏と掉挙が合わさってできた言葉である。十の煩悩の七つ目の掉挙を示している。

 掉挙とは、頭に血がのぼって高ぶっている状態を指す。これは煩悩であり、この状態ではとても修行することができない。

 

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2021年4月14日 (水)

108つの煩悩(104)

 108つの煩悩の百四番目は、

十纏眠(じってんめん)

である。十纏と眠が組み合わさってできた合成語である。十の煩悩の六つ目の眠を警告している。

 眠が煩悩とは意外に思うかも知れない。これは、眠っていはいけないときに眠ることを意味している。勉強しないといけないときに眠ってしまうのは煩悩なのである。特に仏教では、修行の一環として瞑想を行うとき、眠ってしまうことを煩悩の一つとしている。

 

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2021年4月13日 (火)

108つの煩悩(103)

 108つの煩悩の百三番目は、

十纏悔(じってんけ)

である。十纏と悔が合わさった合成語である。十の煩悩の五つ目の悔を表現している。

 悔とは、悔い、すなわち後悔のことである。後悔は煩悩であり、人は後悔から逃れられない。

 

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2021年4月12日 (月)

108つの煩悩(102)

 108つの煩悩の百二番目は、

十纏慳(じってんけん)

である。十纏と慳とが組み合わさってできた言葉である。十の煩悩の四つ目の慳を意味している。

 慳とは、惜しむという意味である。慳も慳(おし)むと読める。慳むとは、自分のためだけに貯蓄することで、他人のことを考えて施すことがない煩悩なのである。

 

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2021年4月11日 (日)

108つの煩悩(101)

 108つの煩悩の百一番目は、

十纏嫉(じってんしつ)

である。十纏と嫉が合わさってできた言葉である。十の煩悩の三つ目の嫉を現わしている。

 嫉とは、嫉妬の嫉であり、妬みのことである。妬みは108つの煩悩にして、百一番目に登場する煩悩なのである。

 

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2021年4月10日 (土)

108つの煩悩(100)

 108つの煩悩の百番目は、

十纏無愧(じってんむき)

である。十纏と無愧が組み合わさった言葉である。十の煩悩の二つ目の無愧を示している。

 無愧の愧とは、他人に対して恥ずる心である。したがって、無愧とは他人に対して恥ずる心がないという意味である。恥じらいとは、自分に対する恥じらいと他人に対しての恥じらいがあり、これらの恥じらいのないのが煩悩なのだ。

 

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2021年4月 9日 (金)

108つの煩悩(99)

 108つの煩悩の九十九番目は、

十纏無慚(じってんむざん)

である。十纏と無慚が合わさった言葉である。十纏とは十の煩悩のことで、その一番目の煩悩が無慚である。

 無慚の慚とは自分に対して恥ずる心であるから、無慚とは自分に対して恥ずる心がないという意味である。恥じらいのないことは108つの煩悩を締めくくる最後の十の煩悩の一つなのである。

 

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