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<description>2005/12/25～1000話まで雑談
2008/12/31～前向き四字熟語　　　　
2009/05/05～１日１年世界の歴史
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<title>１１１８年</title>
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<description>　西暦１１１８年、平清盛が誕生しました。平家物語が始まります。 　西暦１０８４年...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　西暦１１１８年、平清盛が誕生しました。平家物語が始まります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　西暦１０８４年、白河法皇の中宮、藤原賢子が崩御しました。賢子と非常に仲睦まじかった白河法皇はたいそう悲しみましたが、その後は身分を問わず非常に多くの女性と関係を持ち、その内の１人の白拍子（はくびょうし）が身篭りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　やはり白河院の愛妾、祇園女御（ぎおんのにょうご）はこの白拍子を妹のようにかわいがっていたものの、胎児が災いを起すと白河院に予言したのであります。白河院に命を狙われ白拍子は逃亡し、平忠盛に保護されました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　白拍子は平氏の館で男子を生みました。当時２２歳だった平忠盛は、まだ正室を迎えていなかったのですがその子を引き取りました。わが子としたのは白河院の落胤だったからでありましょうか。幼名は平太と名付けられ、祇園女御に育てられました。平太の実父が白河院だというのは、当時から噂されていました。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>歴史</dc:subject>

<dc:creator>Toshio Ito</dc:creator>
<dc:date>2012-05-27T00:00:00+09:00</dc:date>
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<title>１１１７年</title>
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<description>　西暦１１１７年、磁気コンパスが初めてヨーロッパで使われました。今宵はコンパスの...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　西暦１１１７年、磁気コンパスが初めてヨーロッパで使われました。今宵はコンパスの歴史を勉強しましょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ヨーロッパで磁気コンパスを発明したのは、イタリアのナポリ南東に位置するアマルフィに住んでいたフラビオ・ジョイアとされています。しかし、フラビオ・ジョイアが実在したという確固たる資料がなく、実際に存在していたのかは謎であります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　磁気コンパスが発明される以前、バイキングはカラスを連れて船出し、陸地が近いと思えば空に放ちその後を追って陸地を見つけていました。古代の航海者は、天体観測、水深測定、風向き、潮流、動物の向かう方位などを総動員して目的地に誘導していたのであります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　紀元１世紀、中国では早くも磁気コンパスが発明されていました。木片の中に磁針を埋め込んだ指南魚を水に浮かべていました。このコンパスが、イスラム商人たちによって欧州に伝わったのは、１４世紀の初頭であります。フラビオ・ジョイアは独力でコンパスを発明したのでしょうか。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>歴史</dc:subject>

<dc:creator>Toshio Ito</dc:creator>
<dc:date>2012-05-26T00:00:37+09:00</dc:date>
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<title>１１１６年</title>
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<description>　西暦１１１６年、ハンガリー王にしてクロアチア王のカールマン１世が崩御しました。...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　西暦１１１６年、ハンガリー王にしてクロアチア王のカールマン１世が崩御しました。次代は子のイシュトヴァーン２世が継ぎます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　西暦１０７７年、ハンガリー王のゲーザ１世が崩御すると、弟のラースロー１世が後を継ぎました。西暦１０９５年、ラースロー１世は男子の後継がいなかったので、ゲーザ１世の子、カールマンとアールモシュ兄弟から弟のアールモシュを後継者に指名し、その年崩御したのであります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ラースローが弟のアールモシュを指名したのは、カールマンが身体障害者だったからであります。カールマンはポーランドへ亡命し、翌年ポーランド軍を率いて帰国しアールモシュからハンガリーを取り返し王に即位したのであります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　しかしアールモシュは王位の簒奪に執着していました。ハンガリー王国の３分の１を公国としていたアールモシュは機会がある度にカールマンに対して反乱を企てました。西暦１１０８年、アールモシュがエルサレムに巡礼の旅に出かけたのですが、その間にカールマンはアールモシュの公地を奪ったのであります。それを知ったアールモシュは神聖ローマ皇帝に亡命しました。そして皇帝ハインリヒ５世にハンガリーへの攻撃を要請しました。一旦、ハインリヒ５世はハンガリーを包囲したのですが、その後カールマーンと和平を結び、アールモシュはハンガリーに戻らざるを得なくなりました。西暦１１１５年、カールマンは息子に王位を継がせるため、アールモシュとその子ベーラを盲目にするよう部下に命じたのであります。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>歴史</dc:subject>

<dc:creator>Toshio Ito</dc:creator>
<dc:date>2012-05-25T00:00:00+09:00</dc:date>
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<title>１１１５年</title>
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<description>　西暦１１１５年、女真（じょしん）族の完顔阿骨打（ワンヤンアクダ）が金を建国しま...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　西暦１１１５年、女真（じょしん）族の完顔阿骨打（ワンヤンアクダ）が金を建国しました。遼と北宋が滅ぶことになります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　西暦１１１３年、阿骨打は女真族の完顔部を継ぎ族長となりました。翌西暦１１１４年、これまで支配されていた遼に対して挙兵し、寧江州（現吉林省）を攻撃し占領しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　西暦１１１５年、阿骨打は按出虎水（現黒竜江省ハルビン市）で皇帝に即位し、国号を大金と定めました。そして、遼の皇帝天祚帝（てんそてい）が派遣した大軍の討伐軍を破ったのであります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　阿骨打は、猛安（ミンガン）・謀克（ムクン）の制を立て、金を軍事的に組織しました。猛安・謀克制とは、成年男子３００人を含む３００戸を謀克とし、１０謀克を猛安とする軍事組織であります。戦争になると１猛安から１００人の兵士が供出されますが、平時では村長に統率され共同で狩猟や農耕を行います。遼に苦しめられていた北宋は、金の強さを認め対遼対策として金に近づきます。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>歴史</dc:subject>

<dc:creator>Toshio Ito</dc:creator>
<dc:date>2012-05-24T00:00:00+09:00</dc:date>
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<title>１１１４年</title>
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<description>　西暦１１１４年、キエフ・ルーシの学者ネストルが没しました。ネストルは原初年代記...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　西暦１１１４年、キエフ・ルーシの学者ネストルが没しました。ネストルは原初年代記の作者と言われています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　西暦１０５１年、キエフ郊外にキエフ・ペチェールシク大修道院が建設されました。西暦１０７３年、１７歳のネストルはこの修道院で修道誓願をたて、輔祭となり修道士としての生活をスタートしました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ネストルはボリスとグレブの生涯記やテオドシウスの生涯記を著述しました。そして、正教会の聖人を意味する克肖者（こくしょうしゃ）となりました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　西暦１１１３年、ネストルは東欧の最古記録と言われる原初年代記の編纂を終えました。原初年代記は、西暦８５０年から１１１０年までのキエフ・ルーシについて書かれた年代記であります。ヴァリャーグ人３兄弟がルーシの地を訪れるところから始まっており、彼らがキエフを建国したと書かれています。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>歴史</dc:subject>

<dc:creator>Toshio Ito</dc:creator>
<dc:date>2012-05-23T00:00:00+09:00</dc:date>
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<title>１１１３年</title>
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<description>　西暦１１１３年、カンボジアにアンコール・ワットが建設されました。建てたのはクメ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　西暦１１１３年、カンボジアにアンコール・ワットが建設されました。建てたのはクメール朝の王スーリヤヴァルマン２世であります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　スーリヤヴァルマン２世は精力的にクメール朝の領土を広げるため、西隣のチャオプラヤー川デルタのシャム人やモン人、東隣の李朝、南隣のチャンパ王国と戦いました。その結果クメール朝は、タイ中部、マレー半島、ベトナム南部にまで及びました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　また、スーリヤヴァルマン２世は寺院建築にも熱心で、アンコール・ワットの他、トマノン、バンテアイ・サムレ、ピマーイ寺院等のヒンドゥー教寺院を建築しました。ワットとはクメール語で寺院という意味であります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　彼はアンコール・ワットの建築に３０年以上もの月日をかけました。アンコールとはサンスクリット語で王都を意味します。すなわち、アンコール・ワットとは王都の寺院という意味であります。寺院は３重の回廊に囲まれており、第１回廊は東西２００メートル、南北１８０メートルの大きさで多くの彫刻が施されています。第２回廊は東西１１５メートル、南北１００メートルで、１７段の石段の上にあります。第３回廊は一辺６０メートルで第２回廊より１３メートル高くなっており、急勾配の石段を登って入ります。四隅と中央には須弥山を模した祠堂がそびえ、中央の本堂は高さ６５メートルとなりヴィシュヌ神が祀られていました。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>歴史</dc:subject>

<dc:creator>Toshio Ito</dc:creator>
<dc:date>2012-05-22T00:00:00+09:00</dc:date>
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<title>１１１２年</title>
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<description>　西暦１１１２年、ビルマでミャゼディ碑文が造られました。ビルマのロゼッタ・ストー...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　西暦１１１２年、ビルマでミャゼディ碑文が造られました。ビルマのロゼッタ・ストーンと呼ばれています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ミャゼディ碑文はラージャクマール碑文とも言われます。石柱の４面にそれぞれバーリ語、モン語、ビルマ語、ビュー語が書かれています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ビルマ文字は、モン族が使っていたモン文字が１１世紀後半頃にビルマ文字として使われるようになりました。丸っこいビルマ文字は、子音を表す基本字母の周囲に母音記号と声調が組合わさって文字を形成しています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　インドのサンスクリッド語はアジア東方に伝わり、４世紀にはビュー、チャム族、５世紀にはマレー、クメール族、６世紀にはモン族に伝わりました。その後、各民族はサンスクリット文字で自分達の言語を表記する様に努め始めました。ビルマ人がモン文字を受け取ったのが、このミャゼディ碑文が建てられた１２世紀であります。さらに１３世紀になってから、タイ人はクメール文字を知ります。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>歴史</dc:subject>

<dc:creator>Toshio Ito</dc:creator>
<dc:date>2012-05-21T00:00:00+09:00</dc:date>
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<title>１１１１年</title>
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<description>　西暦１１１１年、東林学院（とうりんがくいん）が江蘇省無錫市に設立されました。儒...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　西暦１１１１年、東林学院（とうりんがくいん）が江蘇省無錫市に設立されました。儒学者の楊時（ようじ）が発起人であります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
　楊時は儒学者の程顥（ていこう）程頤（ていい）兄弟に師事し、地方官から瀏陽（りゅうよう）等の知事になりました。退官後は無錫に住み、東林学院を設立しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　楊時が教えたかったのは、自分が学んだ程顥、程頤の教えであります。彼らの教えは朱子学、陽明学の源流であり、宇宙の万物は陰陽二気の交感によって生成され、事物の差は陰陽の混合の度合いに偏りがあるというものでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　西暦１１３５年、楊時が没すると東林学院は廃校となります。しかしその後、西暦１６０４年、明代末期の儒学者、顧憲成（こけんせい）が楊時の後を継ぐため、東林学院を復興させます。５００年近く時間が経過して、故人の教えを継ごうとか復興しようというのは、進歩がなかったからでしょうか。楊時の教えが５００年の時を経ても風化しなかったからでしょうか。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>歴史</dc:subject>

<dc:creator>Toshio Ito</dc:creator>
<dc:date>2012-05-20T00:00:00+09:00</dc:date>
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<title>１１１０年</title>
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<description>　西暦１１１０年、十字軍がレバノンの都市シドンを攻略しました。今宵は第１回十字軍...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　西暦１１１０年、十字軍がレバノンの都市シドンを攻略しました。今宵は第１回十字軍がエルサレムを征服してからの状況を勉強しましょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　第１回十字軍が、エルサレム王国、アンティオキア公国、エデッサ伯国、トリポリ伯国の十字軍国家を成立させるほどの大成功を収めたことは予想外の出来事でした。そして、エルサレムから帰った将兵達は英雄でありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　しかし十字軍の遠征で将兵不在の間、西欧情勢は変動をもたらした。ノルマンディー地方は領主ノルマンディー公ロベールが不在の間に弟ヘンリー１世が搾取し、西暦１１０６年、兄弟の間にティンチェブライの戦い が起きました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　また、東ローマ帝国はイスラム諸国の脅威がなくなったものの、十字軍国家と対立するようになりました。正教会とカトリックの溝は、逆に十字軍により深刻化しました。イスラム諸国の内紛は続き、十字軍国家と同盟を結んで利用し始めました。そんな中、エルサレムの十字軍は国家の土台を固めるため周辺都市を攻略し、西暦１１１０年、シドンを征服したのであります。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>歴史</dc:subject>

<dc:creator>Toshio Ito</dc:creator>
<dc:date>2012-05-19T00:00:00+09:00</dc:date>
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<title>１１０９年</title>
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<description>　西暦１１０９年、ポーランド大公のボレスワフ３世クシヴォウスティが快進撃を続けま...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　西暦１１０９年、ポーランド大公のボレスワフ３世クシヴォウスティが快進撃を続けました。そして、神聖ローマ皇帝軍を退けたのであります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　西暦１１０７年、ボレスワフは異母兄ポーランド大公ズビグニェフを追放し、ポーランド大公を簒奪したのであります。ズビグニェフは神聖ローマ皇帝ハインリヒ５世の支援を求めドイツへ逃げました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　西暦１１０９年、ナクロの戦いにおいてポメレレン人を撃破しポメラニアを支配下に置きました。そして、神聖ローマ帝国の侵攻が始まりました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　西暦１１０９年８月１４日、神聖ローマ皇帝ハインリヒ５世自らが軍を率い、グウォグフを包囲しましたがボレスワフに退けられました。８月２４日、今度はハインリヒ５世軍はボヘミアに侵攻し、フンツフェルトでボレスワフ軍と衝突しました。しかし、この戦いもポーランドが勝利したのであります。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>歴史</dc:subject>

<dc:creator>Toshio Ito</dc:creator>
<dc:date>2012-05-18T00:00:00+09:00</dc:date>
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